意図的なのか? それとも、彼らはホントウに知らなかったのか?
空手の形の大部分、はカタカナ表記です。
なぜか? 漢字表記が、不明だからです。
でも・・・。
当然な如く・・・。
漢字表記は、存在します。
あのですね! 空手とその形は、全てと言って良いほどに、中国からの移入なんですよ。
そして、中国語とは、漢字表記のみなんです。
我々、が日本語のような、平仮名表記も、カタカナ表記も存在しません。
全て、漢字表記なのです。
さらに、その漢字の大部分(全て?)は、中国語の標準語というか官語というか、当時で言う、マンダリン満官語での発音でした。
当時の琉球王国との交易の本拠地であった、中国南方の福建省の、方言である閩(ミン)語では、無いのです。
しかし、沖縄での伝承の過程で、漢字表記が喪失し・・・。かつ伝言ゲームを起こしてしまい・・・。音だけ、それも沖縄の人間に都合の良い発音の音だけが残り現在に至っています。
現在の体育・体操、そしてスポーツ化された空手において、漢字で表記されている空手の形の大部分は、全て近代になっての後付け、または改名されたものです。
ですから、ゼンゼン意味を成しません。
著明な例が「観空」、すなわち「カンクウ」と改名された形です。
これは松濤館系統(含・極真会館系統)での、呼称される形の名称です。
この形は沖縄で伝承されていた当時は、「クーシャンクー」と呼ばれていたものです。
それを「日本空手の父」としても良い船越義珍・師が、日本本土に移入した際に誤解・曲解した。あるいは、ある意図を持って、改名してしまいました。
いずれにしろ、この「観空」と改名された形の最初に現れる、相手に自分の襟首を掴まれたのを、両手で外して喉輪を相手に入れて、その後に膝蹴りをする。
っという、一連の武術的な業・技を・・・。
両手を頭上に掲げて、その手の間から空を観る!
っという非常に詩的と言えば、詩的。 または、ゼンゼン見当違いと言えば、見当違いな解釈をしてしまったのです。
私は、船越師のこの形の改名には、当時の日本社会の事情が絡んでいるとは理解していますが・・・。
果たして船越師と、それ以前の船越師の師匠の時代には、この形の初動の意味をホントウに理解していたのか? っとの疑問も感じています。
なぜなら糸洲安恒・師の直系としても良い、沖縄における知花朝信・師の系統でも、同じような意味の無い(文責・新垣)動作を、行っているからです。
ですから・・・。
確かに「観空」という名称は、船越師が命名した。
しかし、それ以前に、すでに沖縄においての伝承過程においても、すでにこの「クーシャンクー(公総管の漢字でしょう!)」の形は、その武術的な意味を完全に喪失していたのは明らかです。
でも・・・。
それは、他の多くの技術・形と同じく、伝承の途中で、恐怖の「伝言ゲーム」の作用と同じように、意味を完全に喪失、あるいは、取り間違えてしまったのか?
あるいは、 武術としての空手の心身思想・操作が余りにも危険なために、児童・生徒に指導するために、意識的に牙を抜いた。
すなわち意図的に変えて行ったのか?
そして、それは一部の人間の手によって行われ、その後に続く人間たちは、まったくの誤解・曲解で伝承して行ったのか?
は、非常に微妙な問題です。
なぜなら、このクーシャンクー(公総管?)の初動と、観空の初動はまるで意味を成さず・・・。かつ両者とも、まったく同じように膝蹴りが完全に喪失してしまっているからです。
その膝蹴りの名残が、現在の北谷屋良クーシャンクーでの片膝を伸ばし、反対側の膝を曲げて・・・。
低い姿勢になって・・・。両手は、左右へ交互に、下段と上段への手刀なるものを作る一連の動作であり・・・。
かつ松濤館系統に残る、後屈立ちの元となったものなのです。
これは、上記のように説明すれば、アッ!これって、同じ動作なんだ!
っと、キット読者の皆さまはご理解なされるはずです。
この後屈立ちを、船越師は意図的に膝蹴りという、体育・体操、スポーツ化に変更させるためには、非常に危険度の高い業・技を排除するために、その一種のカムフラージュとして、採用したのか?
あるいは、もう師の時代においては、ゼンゼン意味が喪失してしまったが故に、後屈立ちなるものが生まれてきたのか?
それは、もう今になっては、解けない謎かもしれませんが・・・。
我々、現代の空手家が、武術として伝承された正しい形への回帰というものを果すためには、避けて通れない疑問ではあります。
なお、この形の中にある「膝蹴り」は、観空・クーシャンクー以外の全ての形でも、その大部分は欠落して伝承さており・・・。
かつ、動作の大きな前蹴り、あるいは一部では横蹴りに変更されています。
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