「いま」を、学ぶ
YouTube の動画制作をやって頂いている沖縄同好会代表氏に、多忙中にも関わらず以前、日本縦断セミナーで指導した、ナイファンチ全伝(大)の動画を送信して貰いました。
多謝です。
なぜ、送って貰ったのか?
実は・・・。
恥ずかしいハナシなのですが、以前、日本縦断セミナーで指導したナイファンチ全伝が、どのような有様だったのかを、忘却してしまったからです。
ナンと!
っと、思われるでしょう。
いやぁ~、私だってそう思いますもん・・・。
でも、ホントウに忘れてしまっているのです。
実は、私・・・。
毎度、日本縦断セミナーを終ったあとで、アメリカに帰国して、そのままぶっ倒れるようにして、寝ます。
道場での指導の必要が無ければ、そのまま一週間ほどは寝てしまうでしょう。
その時に、ズーとトイレと食事を除いて(アッ!シャワーは浴びます)、人事不省の状態で寝るのですが・・・。
夢の中に、日本で自分のやった形と動作が出てきます。それを反復しながら、いろいろと試行錯誤します。半部は夢の中、あと半分は現(うつつ)の中でです。
そして、しばらくして道場に出て指導している間に、寝ている時に考えていたことを、自分の身体で確認します。
すると・・・。
「あの時、このように指導したけど・・・。それは、本来はこうではないか?」
「あの動きは、武術的にオカシイのではないか?」
または・・・。
「あの部分は、あれで正しいな!」
っという想いを、自分の身体を使って確認するのです。
すると形が・・・。すなわち日本国内で指導した形が、変わります。もう一段、武術としてシャープになるのが、自分でもわかります。
これ・・・。
セミナー後に、アメリカに帰国直後の時も・・・。
あるいは、ある一定の時間をおいて、すなわち暫くしてから、生じる時もあります。
それを今度は、自分の修行の相方を務めてくれる、R・S四段を相手に確認します。
さらに、サンフランシスコ在の日本人空手指導者の、N・K氏のご意見を伺います。
さらに幸いなことに、現在はYouTube で動画などで確認できますので・・・。自分の思っていた業・技を行っている、流会派や個人を見つけます。
これは、以前から言っている三名の沖縄の古流空手家たちの動画の場合が、多いです。
実は、これらの業や技は、以前からズーッと見ている動画の中にあり・・・。かつ、自分自身が学んだ動作もあるのです。
でも、見取ることが出来なかったのです。
しかし日本縦断の東京・大阪・沖縄での、集中したセミナーの指導で、己の観る目が違ってしまっています。
だから、観れる! のです。いや、そこまで観れるようになったのです。
ですから私、ある期間の集中的、徹底的な修行というものに、非常に重きを置きますし・・・。
自分の再修業で、それをやったということに、非常に有難い事であったと思っています。
まぁ~、私にとっての日本縦断セミナーは、そのプチ版と言っても良いのでしょう。
そして、自分で、その部分の動きを埋めていきます。
少しだけ、国際沖縄空手道・無想会の指導・伝承する形が、武術としての形の完成に近づいたのです。
でも・・・。
困ったことに、もうこの段階では、日本国内でどんな形を指導したのか、余り(?)憶えていません。
アメリカ・ユタ州の、世界総本部道場の黒帯連中に尋ねようにも・・・。
彼らに指導した形の動きが、日本で指導したもの以前のものか? あるいは、同じものか?などさえ自分自身が、もう覚えていないのです。
誠に、始末に困る状態です。
だから上記のように、恥ずかしながら・・・。沖縄同好会代表氏へ尋ねるという、一件になるのです。
でも、これ・・・。
言い訳めきますが、上達への一つの秘訣でもあるのです。
心身を常にリフレッシュに、そして機敏に動かすためには、過去の間違った、あるいは不十分な動きを、自分の心身から完全に消却しなければ為らないからです。
実は修行の進歩が遅い人間は、この部分で、過去の自分の間違いと、現在自分が学んでいる正しい状態(業や技)を、常に対比してしまいます。
ヒドイ場合には、その対比の際に、自分の間違った業・技を、自分で自分自身に、詳細に説明してしまうのです。
これなどは、もう間違った業・技を、リピート、リピートの連続で行っているのと同様で・・・。
過去の間違った動きを再現して、再学習を繰り返し、行っているのに他なりません。
厄介なことに、それが、彼にとっては修行だと思ってしまっているのです。
これって・・・。
完全に心(脳ね!)の、居着きなのです。
こんな余分なものを、背負って修行すると、心と体、すなわち脳と身の動きが、鈍重になってしまいます。
そんなことより、それらの間違った動きを、全て打ち捨て、自分の心身から消却し・・・。
「いま」の正しい業・技(のみ)を、自分で説明・納得して、自分のモノにしてしまえばよいのですが・・・。
ですから、私この修行の在り方、業・技の学び方にかんしては、厳しく、しつこく指導します。
この部分、まさに真剣勝負です。
文字通り・・・、 一期一会なのです。
稀には、嫌がられる。あるいは、誤解される時もあります。
これは世界総本部道場、あるいは日本国内の直弟子諸氏などの、定期的に長期に渡って指導できる場所ならば、一応の信頼関係は築けているので、OKですが・・・。
一般セミナーなどの不特定多数の人間を、短い時間指導する場合には、残念ながら時折起きてしまう事です。
でも仕方が、ありません。
これは教わる人間のためだと思い、厳しく言います。
教える人間の責任とは、教わる人間の能力を、最大限に発揮させることにある!
っと、私心底から信じてますもん。
彼・彼女の貴重な時間や労力を無駄にしては、勿体無いのです。
彼・彼女が、もし修行を続け、かつ武運があれば、いつか修行の過程で、私の意図を気付いて欲しいとも、願っていますが・・・。
これだけは、私と、彼・彼女との間に武縁があるか? どうか? だけだと思っています。
武道も、禅も、あるのは今だけなのです。
その、「いま」も・・・。
「いま」という、「いま」は無かりけり
「ま」の時くれば、
「い」の時は去る
の、「いま」なのです。
まぁ~、私の場合は、歳の所為でボケた頭が、過去も今も、そして未来も、忘却の彼方にあるという、哀しい現実なのかもしれませんが・・・。
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