ナイファンチ三段が、繋がらないよ!

 別に国際沖縄空手道・無想会の自画自賛や、擁護のためでは無く、琉球王国時代に武術として伝承された沖縄空手において、ナイファンチの形の初動は、左へ喉輪を出し、右足を左側に交差させて、左側へ進む・・・。

 現在の弊会が伝承している、ナイファンチ全伝と同じ、様式であったはずです。


 後に初段、二段、三段と分割されてしまいましたが、形自体の最初の部分、いわゆる初段の最初の動きが、上記のように左側へ向かうこの様式は、今も泊のナイファンチとして現存しています。

 さらに、一心流の島袋龍夫・師のところにも、残っています。


 なお、もし読者が古流の空手というものを、本気で極めて行きたいとお思いでしたら、この島袋・師を避けて通ることは、不可能です。

 この人物は、沖縄において空手の体育・体操化、いわゆる近代化の波に取り残された。あるいは、意識的に残った人間の一人です。

 その為に、他の同じような人々と同じく、生前は言われない中傷や誤解、曲解も受けた人の一人です。

 この人物のワンシュウ(王師父)の形を理解することで、私は王武官(ワンカン)の伝承した形の概容がつかめたのです。


 さて、ハナシを戻して・・・。

 現在では、ナイファンチの初段は、弊会のナイファンチ全伝と同じ、泊のナイファンチ、一心流ナイファンチの左側進行。 

 そして、その他の多くの流会派の行う、右側進行の二種類が、現存します。


 でも二段の部分ではは、その形態は、初段の無想会空手が行う、左側進行の続きの、左側へ進める方式の形だけが残ってしまっています。


 すなわち形の進行方法として初段と二段は、相手の身体を自分がコントロールして進んでいく進行方向が、順調で・・・。完全に、形は繋がるのです。


 二段で左進行のナイファンチを、まだ私は拝見したことがありません。ってか、存在していなかったはずです!

 注・本ブログで記しているのは、形の構成の進行であり、歩をどこに進めているのかでは無いので、ご注意ください。


 時には本文の記す、構成の進行と、歩の進行が逆の場合もあるのです。

 これはもう、私の拙い文章で記すと、さらにコンガラガルので、4月24日の直弟子限定・オンライン稽古会で、詳しく説明します。


 問題は、三段なのです。

 三段では、進行する方角は、各流会派の形では、右側進行から形が始まります。

 でも、これって形の構成として観た場合に、二段とは繋がらないのです。

 折角、初段→二段とつながったのに、これでは初段→二段←三段っと、ぶつかってしまって、形に成らないのです(再 注・なお、矢印は任意で、形の実際の進行方向とは無関係です)。


 この三段の最初の部分は、二段の最後の部分から続くので、相手の頭を持って、自分の左側へ放り投げる動作でなければなりません。

 現行の大部分の流会派がやっているナイファンチ三段の様式では、自分の右側に相手を放り投げてしまっています。

 ナイファンチ初段+二段の形における、相手と自分の相対関係から理解すれば、完全に、反対の方角です。

真逆なのです!


 では、私・新垣清と、その主宰する国際沖縄空手道・無想会の主張する・・・、


 ナイファンチとは、もともとは一つの形。

 すなわち、ナイファンチ全伝、あるいは、ナイファンチ大と称して良いものが存在していた。


 それを後年、体育・体操化などの理由のために、三分割したのである。

 っという主張には、エビデンス・証拠が無いではないか?

 っという疑問が、当然の如く沸いてくるのです。

 まぁ~、二段までは合ってるけどね!・・・。


 これでは、新垣の主張は、完全に破綻しているという結論にしか成りえません。


 この稿、続きます。

国際沖縄空手道 無想会 International Okinawa Karate-do Muso-kai