ナイファンチ・鉄騎の形を観たい

 もう、私が拙著「沖縄武道空手の極意」を執筆して、二十年以上も経っています。


 お蔭様で、沖縄、日本本土だけでは無く、世界中の空手を練習する人々の間で、ナイファンチ、ナイハンチ、あるいは鉄騎とも呼ばれる形の重要性が認知され、色々な所で写真や、動画で観ることが出来てきました。

 誠に、嬉しい限りです。


 タッタ一人で、ナイファンチの修行をして・・・(その時は、初段のみでしたが・・・)。

 その後に、この形の重要性をタッタ一人で訴えていた時から考えてみたら、今の盛況は、もう感激以外にありません。


 ただ・・・。

 以下の文・・・。

 後学の方々への、老いたる武道家の老婆心から生まれてきた言葉だと、受け取っていただけたら幸いです。


 実は、私・・・。

 残念ながら、この二十年経った今でも、チャンとしたナイファンチの形を、拝見した覚えはありません。

 っとは言っても・・・。

 一瞥すれば、その方のナイファンチの修行の度合いが分かってしまいますので、YouTube などの動画で、現在行われているナイファンチ・鉄騎の形を、チャーンとは見ていません(ゴメン!)。


 ナゼなのか?!

 現代において空手を練習する方々が、ナイファンチ、ナイハンチ、あるいは鉄騎の形の練習はしても、形を使う、すなわち形で修行をする。

 あるいは、形の修行をしては居ないからではないか!?

 と、愚考します。


 命がけの、本気の修行をするならば、己に遭えば己を殺すほどの覚悟が、必要です。

 これは、ご自分のいままで学んできた流会派の全てを打ち捨てて、かつ自分の習得した業・技を全て打ち捨てて、文字通り、一からでは無く、ゼロか修行を始めるということです。


 または修行の過程で、ゼロまで戻される・・・。

 あるいは、ゼロまで戻らなければ、修行はそれ以上には、伸展しないと気づかされるのです。

 非常に失礼な言い方ですが、私の拙い武才からの視点から観て、そのゼロの認識まで到達したナイファンチの動画さえも、まだ、ありません。


 なぜなら、武術として伝承された沖縄空手の、心身思想・操作とは、我々近代・現代の空手の練習者が学んで来た、心身思想と操作がまるで違う!

 っと、いうより、真逆!

 だからです。


 さらに、現代の体育・体操、スポーツ・競技空手を学んで来た我々は、形の構成・構造というものに対して、完全に無知です。

 ですから、我々は形の意味することが分かりません。すなわち、形が読めません。読めなければ当然の如く、使えません。


 しかし、人間には未練があります。執着があります。自分に、そして自分のやって来たことに対しての、プライドがあります。

 それらの自分の感情だけでは無く・・・。


 既存の、空手の形の概念。

 いや!

 空手の概念。

 それだけでは無く、武術・武道の概念さえも打ち捨てなければ、武術として伝承された沖縄空手のナイファンチの形を習得するのは、現代の我々には不可能なのです。


 自分が今まで学んできたことの全てを打ち捨てて、ナイファンチを学ぶことが出来なければ、「木に、竹を接ぐ」どころか・・・。

 「石に、木を接ぐ」ほどの、不可能さに終わってしまうのです。


 ですから、下手に空手を練習している人間よりも、空手をナニも知らない、文字通り初心者の方が、ナイファンチを習得するのに、適しているかもしれません。

 まぁ~、いずれにしろ大変です・・・。


 来年の春か秋には、弊会の日本国内初の昇段審査を、執り行う予定です(これも、コロナ次第なのですが・・・)。

 その時に、見事なナイファンチの形(小でも、大でもOK)に出会えたら、望外の幸せだなぁ~と期待しています。