後は、紙ヤスリを充てるだけ・・・
前二回の拙ブログでも記し・・・。
かつ、今回の直弟子限定の最高師範直伝オンライン稽古会でも宣べましたが・・・。
首里手・古流那覇手・泊手の、琉球王国時代における沖縄の流れも、大体掴めましたし・・・。
形の漢字表記の法則も、理解・解明ができ・・。
形の中国における有様と、どのようにして沖縄人の手に渡ったかも、解明した心算です。
そして、武術として伝承された沖縄空手の形の解明は、もう最終段階を迎えていると思っています。
琉球王国時代に、武術として伝承された沖縄空手は、中国清王朝の軍隊である漢人部隊(緑営)の軍事教練が、その主たるものです。
その形は、サンチン(三戦)からスーパーリンペー(壱百零八歩)まで15個あります。
他に公総管(クーシャンクー)が伝えた形(形の名称は、わかりません)と、中国海軍(水師)の形であった、ナイファンチ(内帆船か南方拳の漢字表記か?)。
それとはやや趣の異なる、泊手の形がありますが、これもその大部分は解明済みです。
首里手は琉球手、すなわち沖縄手です。
上記の15の形と、ナイファンチとクーシャンクーは、満州人が興した清王朝の前の王朝である、漢人の王朝であった明王朝時代の、打撃主体の軍事教練と・・・。
日本武術(主に剣術と、その影響下にある柔術です)の所謂、「手(ティー」としてして残っていた心身思想・操作の影響も受けて、沖縄の武士たちが変革したものです。
特に武士・松村こと、松村宗昆の優れた才能によって変革された昇華されたものが、現在の空手の元となったものです。
ここまで、私・新垣清は、辿り着きましたt。
ザックと鉈で割ったカタチでの、沖縄手・首里手の原型のカタチ作りから・・・。
次は、鑿(ノミ)で細部を整え・・・。
今は、紙ヤスリを充てる段階が残っているだけです。
国際沖縄空手道・無想会の形の、解明・伝授は最終段階に入っているとしても良いでしょう。
身体操作だけは無く、言語でも完全に武術として伝承された沖縄空手の形の構造・機能・応用・様式を私だけは無く、多くの会員諸氏(直弟子)が、他の武術としての空手に疎い方々に、チャーンと説明できる状態が生まれてきています。
空手は、打撃だけの格闘術ではありません。
そんな単純な思想で、武術が成り立っているはずがないのです。
打撃、投げ、極めの、徒手における総合格闘術です。
でも、寝技はありません。
戦場では、寝技は自殺行為ですし・・・。
路上においてでさえも、現代の競技用の寝技の大部分は使えません。
歯による、喉笛などの脆弱部への噛み付き・・・。
指による、目への抉り出し・・・。
さらに、指を折る行為など・・・、が存在する実際の闘いでは、よっぽどのことが無い限り、身体を固定して相手に技を極めることは不可能だからです。
特に、相手を仰向けにしては無理です。
(相手の両手が、まだ使えるからね!?)
これなどは、立って技を出す時も同じで・・・、両者が団子状態になった場合には、頭突きから、目の攻撃が必ずと言って良いほどに行われ、それに対処しない、対応できない業・技は無意味なのです。
もう二、三十年前になりますが・・・。
私が、沖縄空手には日本剣術の影響が多大にあると述べて時には、完全に間違いだと思われました。
さらにナイファンチの心身思想・操作を解明し、発表した時も、大きな影響を及ぼすと同時に、劣化コピーや、まがい物の横行が凄まじい有様でした。
この悪影響は、まだ尾を引いていると思っていまし・・・。
ブームを作ってしまった当事者として、心ならづも、一種、それらの劣化コピーの被害者になられた方々に、お詫びいたします。
言い訳めきますが・・・。
今まで、私は自分の修行に追われて、心の余裕も、時間も皆無だったのです。
今現在も、そのような事柄への、是正をする時間などはありませんし、その気も、ありません。
ただ、ただ・・・。
真あらば、自ずから立つ!
を信じて、邁進する以外に道は無いっと思っています。
今回の最高師範直伝の、オンライン稽古会は、その嚆矢となったと思っています。
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