見栄を切る動作に騙されるな!
現代のスポーツ空手では、腰を回す! 腰を振る! っという動作が存在します。
武術として伝承された沖縄空手には、そのような動作は存在しません。
なぜなら二本足直立歩行をする、我々、人類の歩行においては、そのような動作は有り得ないからです。
さらに突きの動作を止めて、口を大きく開けて「気合」を発することが、空手の形での動作だと思われていますが、武術的にはあり得ないことです。
さらに相手の(主に)突きに対して、上段や中段で受けるっという動作がありますが、これも不可能です。
これなどは、もう国際沖縄空手道・無想会の無想会空手チャンネルで度々に渡って説明しているので、大部分の読者や視聴者には、ご理解頂けていると思っています。
では、なぜそのような考えが生まれてきたのか?
理由は、諸処ありますが・・・。
その大きなものの一つは、動作の終わった箇所。
あるいは俗にいうフォーロ―スルーした箇所が、業・技そのものである。
と、理解(まぁ~、誤解ですね)してしまったことです。
すなわち歌舞伎役者が、舞台で見栄を切る動作が存在しますが・・・。
その動作を、業・技だと思ったということです。
前ブログ「ダレの、ドコを、ドウ見れば良いのか?」において・・・。動画で残っている先達の動きの、ドコを観れば良いのか?
っということを述べました。
私は、主に松村正統流を名乗った祖堅方範・師と、一心流の創始者である島袋龍夫・師の、お二人を取り上げています。
他の方々の動画は、形が余りにもスポーツ化されてしまって、余り参考にはならないからです。
さらに、この沖縄のお二人の空手家たちの動作でさえ、ご本人たちが武術としての沖縄空手の形の成り立ち、いわゆる形の構成・機能などを理解して居らないために、余程観る人間が、観る箇所を理解しておかなければ、見落としてしまいます。
これは私・新垣清の責任として明言しますが、彼等も業・技の最後部分、いわゆる見栄を切る箇所を業・技の本質、すなわち機能の部分だと理解してしまい、その箇所が強調されてしまっています。
ですが、良ーくみれば、残ってはいるのです。
それは彼等の修行時代に、師匠から動作(業・技)を学んだ際の、残滓のようなものなのでしょう。
しかし、彼等の弟子たち、すなわち次の時代の人間たちは、それさえも伝承されておらず・・・。
かつ、たとえ伝承されたとしても、重要であるという認識に至らずに、欠落させてしまっています。
最悪な場合には、他の空手諸流派の動きとは違う、己の師匠である彼等の動きが間違いであるという結論に至ってしまい(?)、他の大多数の流会派の動きと同じ動きに、消去、あるいは改編・改変してしまった場合さえも、存在するのです。
もう、ここまで来れば・・・。
空手の形は、使えるのか?
どうか?
などの次元のハナシでは、無いのです。
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