ウセーシ(五十四)の形と、世界総本部道場の弟子たちのこと
前回、ウーセイシ(五十四)の形は、「滅茶苦茶でごじゃりまするがな!」として、ウーセイシ(五十四)の形のことを記していますが・・・。忘れないうちに、本部の弟子たちの上達ぶりも記していきます。
今回の日本縦断セミナーで、一か月ほど本部道場を留守にして、帰国して本部で指導した時にビックリしたのは、彼らの上達ぶりです。
日本の年の瀬、年末が近づくのと同じで・・・、アメリカでも感謝祭からクリスマス、ニューイヤーっと続くこの時期は、道場生の出席率は悪いです。
でも・・・、年末の昇級審査があるので、審査を受ける心算の生徒は熱心に道場に来ています。
彼らは基本にしても、形にしても号令をかけてやる分には・・・、色帯の連中がもし黒帯を締めて静止画で映った場合は、本物の黒帯と見分けがつかないだろう? っと思うほどな姿勢・技になっていました。まあ、号令無しの動きで・・・、あるいは動画では、まだ違いが分かりますけどね。
さらに組手でも、顔面あり、無しでも、チャンと黒帯と相手して戦えます。顔面無しの、いわゆるフルコン組手でも、顔面有りの間合いを保ったまま闘ってくれるのが、嬉しいです。
従来は三年ほどかかった技術的な部分が、もう、一年ほどで皆クリアーできるようになっています。
技を、そして形を使える黒帯連中が、道場の中には一杯いるのですから、当然と言えば当然ですが・・・。
ここまでチャンと指導してくれている、本部の指導員たちに感謝です。
さて、問題のウーセイシ(五十四)の形ですが・・・。
この形はサンチン(三戦)、サイファ(九法)、セイサン(十三)、セーパイ(十八)、・・・セイエンチン(四十五戦)、・・・・スーパーリンペー(壱百零八)っと続く「唐手・佐久川」が移入した、1804年前後に中国福建省の琉球館で、中国清朝軍の漢人部隊(緑営)の護衛兵(把門=アーナンと発音)たちの軍事教練として行われていた、合計十五の套路(≒形)の九番目にあたるものです。
驚くかもしれませんが・・・、前回のセミナーで伝授した「パッサイ(八十一)」の形と同じく、サンチン(三戦)のような様式(現在の剛柔流や、上地流のとは異なるものです)で、最初の動作は始まっていたはずです。
それを首里の武士たちが、琉球化(沖縄化)して、さらに日本剣術の達人であった「武士・松村」こと松村宗昆が、沖縄手、首里手として完成させています。
しかしながら・・・、どうにも、こうにも、滅茶苦茶な形なのです。
ここまで滅茶苦茶な形だと、「松村さん、アンタ一体どうしたの?!」っと、タメ口の一つも訊きたいぐらいです(怖いから、訊いた後で、スグ逃げるけど・・・)。
一体、どうしてこんな、いろいろなバージョンのある(そのために、ヘンテコリンになってしまった)形が伝承されたのでしょうか?
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