盆栽では無く、植林なのだ!
国際沖縄空手道・無想会は、「武術として伝承された沖縄空手の再興」っというものを謳い上げて、ここまでやってきました。
弊会の根底にあるのは、空手という沖縄、そして日本の武道を通して、「東洋の心身文化における思想と、その操作を再興する」ということです。
書いているだけで、気恥ずかしい理念ですが・・・。まあいつものアラカキのホラ話しだと思って、読み流してください。
わたくし自身が良く知っていますが・・・。こんな、ご大層な御託を述べるのは・・・。ある意味、正気の沙汰ではありません。
その証拠に、最初のころは世界総本部の弟子たちにも呆れられ、日本でも受け入れられることは余りありませんでした。
特に日本国の日本人の方々は別として、世界総本部の人間はアメリカ人です。
「ナニが、東洋心身文化だ!?」、「ナニが、武術としての沖縄空手だ!?」 っと思うのは当然のことです。
すなわち無想会の空手とは文字通り、わたくしの世界中でたった一人、孤立無援の戦いから始まりました。
でも・・・、やはり世界は広く・・・。このようなヘンチクリンな理念に対しても、理解者は世界の何処か、日本の何処か、そしてアメリカの何処かには居るものです。
まあアメリカの弟子たちは、少しオカシクなってしまったセンセイ(わたくしの事です)に仕方無く、そして憐れみを持って付いてきてしまっただけかもしれませんが・・・。
そのために、どうにか、こうにか生き残り(?=まだ分かりませんがね!)、徐々に組織が確固たるものになっていっています(感謝!)。
徐々にながら組織は確固になっていきましたが、「武術とは、個の技術です!」。すなわち確固たる個人の技術であり、個人の思想なのです。これはわたくし自身の信条ですし、そのようにも指導しています。
では、組織と個の兼ね合いをどうするのか?
「樹を見て、森を見ず」の言葉に例えれば、その「個」が、盆栽のようなものになっては為らないと思っています。
樹というものを考えた場合に、「盆栽」における樹とは、周囲にナンの影響も与えず、ナンの影響も受けない、非社会的(樹の世界においてね)な行為でしかないと思っています(だからと言って、盆栽の趣味を否定しているのでは無いということは、お判りになりますね)。
国際沖縄空手道・無想会が、空手を通して行いたいのは、盆栽では無く(趣味のことを、言っているでは無いです。くれぐれも、誤解のないようにしてくださいね)・・・。
われわれが目指すことは、「植林」なのです。
すなわち樹を植えることで、山を形成し、山が河を育て、そして河が海を豊かにするように・・・。
大上段に構えて言えば、人を、社会を、そして地球を豊かにする手段です。
その最初の、樹を植え育てることが、われわれが目指すことなのです。
その最初の樹が、「個としての武術」です。しかしそれは、「植林」という組織的、体系立ったなものでなければ、海を豊かにするものにはなり得ません。
そして、植林の結果として、自然な人間の心身に沿った、東洋の心身思想・操作を確立し、近代化の過程でそれを失ってしまった西洋文化に激突させることで・・・。
新たなる心身思想を生み出すということが・・・、誇大妄想をも連想させるわたくし、新垣清の創設した国際沖縄空手道・無想会なのです。
まあ、笑ってください。書いた本人が一番、大笑いしていますので・・・。
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