沖縄空手の全てが解けたよ!
「師走」です。
わたくしのような、怠惰な人間も、一応は「師範(シハン)」っと呼ばれる身なので、
アチラ・コチラと、走り回らないといけないのででょうが・・・。わたくしの場合は、
「然に非らず!」。
だって、クリスマス・ホリデーですので・・・、道場も休みの日々が続き、皆様の期待を裏切る事無く、怠惰な日々を送っています。
って、ことですが・・・。
じつは沖縄空手の形の全て、すなわち唐手・佐久川の移入した十五の形。
それにクーシャンクー(公総官)の形と、ナイファンチ(内帆船か、南方拳の、いづれかの漢字表記でしょう?!)の二つの形の合わせて、合計十七の形。
そして泊方面に伝わった(すなわち泊手ね!)の、十三の形。
琉球王国時代の沖縄空手の、
合計三十の形
の全てが、解明できたようです。
さらに、なぜ、漢字表記の形があるのか? あるいは、なぜ漢字表記で伝わらなかった形があるのか?
中国人の師匠の名称(あるいは呼称)などなど、
あのね!
すべてが解けました(まあ、細部は詰めないとイケないけど・・・)。
あとは松村宗昆の(沖縄人唐手家の)師匠(個人)の名称などの、現在においは解けるか? どうか?は、残存する史料・資料の関係で、調べるのは不可能に思える疑問が、残っているだけです。
三十の形に関しては、このブログで、グダ・グダ書くのは煩雑になると思うので、すべて一覧表にして発表する予定です。
もうわたくし・新垣清個人としは、
「武術として伝承された沖縄空手」に関しては、
重要な疑問は一つもありません!
空手を始めて、五十年!
再修業から、二十年!
琉球王国時代の空手の形の名称、伝承系列、歴史、
技術的内容などなど、
すべてが解けました。
再び記しますが・・・。もう、疑問は一つもありません!
再修業の際に失ったものと比較して、いま得たものが、どれだけの価値のあるものなのか?
それが、是であったのか、否であったのか?
失ったモノの重さを省みる時に、それは、わたくしには判断できません。
神のみぞ知る。
っということなのでしょう・・・。
この2018年は、個人的にも、それだけ重い年でした。
ただ、いまのわたくしは、
それだけの、修行をしました。
っと言うだけです。
それが、(わたくしの)人生なのでしょう。
しかし、上記のすべてが、説明でき。図解でき。一覧表にまとめることができる。と思っています。
いま、その作業に取り掛かっています。
0コメント