「観空の形」の敵は、何処?

 船越義珍・師の松濤館系統には、「後屈立ち」っという、立ち方が存在します。

 この立ち方は、前足のカカトが床に着いた状態と、着いていない状態の場合が、松濤館系統の流会派の間でも違いがあります。

 がっ!

 わたくしは、あまり関係は無いというか、相手に対してどの状態であるか! っという流動的なものでしか無いと思っています(文責・新垣清、以下の文もです)。

 なぜなら、それらの立ち方は、首里手系統にある(ホントウは、あるはずの無い)、「猫足立ち」と、同じ役割でしかないからです。

 すなわち、相手の頭抱えて折りながら、膝蹴りの時の、どの状態であるか! だけの違いです。

 この「後屈立ち」の出所は、松濤館系統で「観空」と呼ばれる「クーシャンクー(公総管)」の形の初動からでしょうし・・・。

 もともとは(そして今も)、左右に居る相手が攻撃してきたのを、いわゆる手刀受けで受けるという解釈から始まったはずです。

 がっ!

 あの形は、現在は北谷屋良(チャタンヤラ)クーシャンクーとも呼ばれている形と同様に、敵は、正面にしか居ないのです! 

 まぁ~、武術的には北谷屋良のクーシャンクーも、解釈(いわゆる分解)は、滅茶苦茶ですがね・・・。

 すなわち、武術として伝承された沖縄空手は、本場だと言われている沖縄でさえ、武士の時代が終わった後には・・・。

形の武術的な意味合いは、すべて喪失してしまっていたのです。

 これは「本部の猿」こと、本部朝基のナイファンチの動作が、左右から攻撃してきた相手を、中段で受けるという解釈とまったく同じで、有り得ないことなのです。

 現代の空手の修行者は、このような「敵は、一体どこにいるのか?」っという・・・

 誰が考えても、最初に理解しておかなければ為らないことを、空手の形は体育・体操化、スポーツ化、競技化、リクレーション化、エンターテイメント化で、

まったく、失ってしまった!

という事実を認識することから、形本来の武術的な意味を理解しなければならいのです。

 私事ですが、わたくしの修行時における(そしても今もです)深い絶望感が、別に「悲劇のヒロイン」を気取るような、エエ恰好しいぃ~では無い!ということがお判り頂けたと思います。

 武士の時代が終わった後では、ダ~レも、ナンにも、分かっていなかったのだ!

っというのが実情だったのです。

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