本部先生、船越先生、誠に御無礼ではありますが・・・。
私は、自分の再修業の際に、「本部の猿」こと、本部朝基の背中を懸命に追いかけていました。
もし本部朝基・師と同じ時代に、私が生きていたならば、真っ先に駆けつけて、その門下に名を連ねたと思っています(まぁ~、彼が許可してくれた時のハナシなのですが)。
しかし、彼は1945年に、沖縄戦を前にして死去しています。
ですから・・・。
師事では無く、私淑したということが、正しい表現でしょう。
彼の本に載っている、ナイファンチの形の写真が無ければ、私の再修業はどこかで頓挫して、今の私空手を遣っていない。
または、私はこの世に存在していなかったはずです。
そこまで自分を追い込みましたし、私以上に彼のナイファンチに感謝している人間は、皆無に近いはずです。
さらに幸いなことは、私が沖縄での修行時代に学んだナイファンチの形が、本部のナイファンチに酷似していたということです。すなわち、膝を外に張る立ち方なのです。
これなどは、全て運ですし・・・。私は自分の経験から、武術の達成度とは、才能二分、努力五分、運が三分だと思っています。そして三分の運を掴むには、五分の努力を、精一杯やる以外に、方法は無いとも思っています。
その本部の背中を必死に追いかけて行き、仕舞には「猿・小説本部朝基」っという物語さえ、発刊する始末になりました。
しかし・・・。
必死(文字通り、必死でした)に、彼の背中を追いかけてる修行の果てに、「フッ!」と気が付いた時がありました。
それは、今までは私の前方に彼の後ろ姿が映っており、それを必死で追いかけていたのですが・・・。ある時から、気が付けば、彼が自分の後方に位置していたのです。
それが一番顕著に表れたのは、ナイファンチの形の左右への中段の内受け、外受けの解釈です(あんな、受けッて無いって!)。
この時の認知と、驚きは、今でも如術に覚えています。
「本部先生、誠に御無礼ではありますが、それは、間違いです!」 と、その時に私は、ハッキリと、本部師の姿へ向かって呟いたことを覚えています。
なおあの当時は、彼の、その姿が直に見えるほどに、私は私淑していたのです(危ないですね!)。
正直に記しますが・・・。このような一種の幻覚を見るほどに、私は現実から遊離していた、あるいは隔離されていた。または、自ら隔離していたのでしょう(再び、危ないです!)。
本部朝基の身体操作というものは、古今東西を見渡しても、誠に素晴らしいものです。
しかし・・・。
彼は、武術としての空手の本来の姿を、理解していません。
それは彼の資質、修行、努力などとは、まったく関係無く・・・。時代的に、武術としての空手を学ぶ機会が、無かったということだけです。
それは、今回の「後屈立ち」の事柄における、船越義珍師に関しても同様です。
すなわち
「船越先生、誠に御無礼ではありますが、 それは間違いです!」っと、武術としての沖縄空手の心身思想・操作に照らし合わせて述べていく以外に、道はありません。
なお、明確にしますが、体育・体操、スポーツ、競技、レクレーション、そしてエンターテインメンとしての空手と、その形であるならば、それらの事柄は、別に問題はゼンゼン無いのです。
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