沖縄の空手家は、ナンにも分かって無かったんだよ!
私事ですが・・・。
異郷に住む人間は、誰でも愛国者になる! っという言葉があります。
私も人生の半生以上、ここアメリカに住んでいるということで、それは当然当てはまりますし、私場合、沖縄人として生まれて、十代の半ばに沖縄が祖国復帰を果たした結果、日本人となったという、当時の米国軍政府下の民政府下に生まれたので・・・。
愛郷者という側面が、強いかと思います。
実は、今は無き「月刊・空手道」っという雑誌がありました。
その雑誌に、沖縄から日本本土に空手を移入した第二世代に当たる空手家の、内弟子を務めた人物の連載がありました。仮に、T師としましょう。なお第一世代が、船越、本部、摩文仁の各師です。
この連載を、私は非常に参考にしていましたし、その人物を非常に尊敬していました(今もです)。
このT師は一時は南米にも渡っており、そのために視野の広さというか、外から日本を見れる人物でもあり・・・。更に、当時の全空連の事務所にも勤めていた方です。
空手に関して、日本本土のどの空手家より、そして沖縄に関しても、沖縄空手のどの空手家より、知っていた。あるいは、研究した人物です。
そして有難いことに、後年になって、電話で色々と、ご教授を受ける事が出来ました。
その時に「アラカキ君、君のような人間が本土に空手を伝えるべきだったんだよ」っとの言葉を頂きました。丁度、拙著「沖縄武道空手の極意」が、出版された時期だと思います。
その言葉を電話口で聞いた時、身体がそれこそ、震える思いでした。
柄にも無く、褒められたから、感動した?
イイエ!
余りにも、恐縮し、そしてこの人物の哀しみというものが、如実に理解できるので、「嗚呼~、スイマセン!」っと、謝罪の想いで一杯になってしまったのです。
なぜなら、その当時にすでに、私自身が、現代の空手とは、武術として伝承されたものとは、まったく異なるものであり、その差異を、肝心の空手家たちが、まるで気が付いていなかったという結論に達していたからです。今も、当然そうです!
当然のように、T師は私などより、はるか以前にそのことに気づいていたはずです。
後日、当時の「月刊・空手道」の編集長にお会いした時に・・・。
この人物が、自分が内弟子になった空手家や、その世代の沖縄空手家のことを、「あの人たちは、ナンにも分かっては無かったんだ!」っと、呟いていたということを聞きました。
その時も「嗚呼っ!」っと、空を仰いで嘆息をする! っという熟語と、まったく同じような想いがしました。
更に「スイマセン! でも・・・、仕方が無かったんです」っとの、切ない思いが、自分の身体を満たしていました。
なぜスイマセンと言ったのか・・・。
【空手歴史】糸洲なくば空手は存在しない!! Itosu Anko_ Savior of a Cultural Heritage(糸洲安恒_文化財の救世主)【新垣清kiyoshi Arakaki】
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