琉球・沖縄古武道は、「日本剣術」!?

 前回のブログで、懇意にして頂いている、米国サンフランシスコ在の日本人の空手の先生から「アラカキ先生・・・。

沖縄・琉球古武道って、『日本剣術』でしょう!?」っと、端的に言われたと記しました。

確かに、そうなのです!


 トンファー(短拐)やティンベー(藤牌)などと、異国風の名称(当然です、中国語だからね!)がつき、かつ「棒」も「棍(コン・クン)」などと、異国風に呼称される。

 さらにブルース・リーの映画などで有名ななった、ヌンチャク(双節棍)などもあります。

 それがナゼ?大和、いわゆる日本本土の代表的な武術である、「日本剣術」、なのか?っと思われるかもしれまん。

 まぁ~、ハナシが長くなるので、このブログでは端折りますが・・・。


 上記の先生は、私の住むソルト・レイク・シティーにも訪ねて来ておられ、かつ大阪のセミナーにも、会場に来訪してくださった方です。

 かつ、私の修行とその成果を理解してくださる方であり、私の疑問や悩みにも明確な答えや、助言を与えてくださる方です。有難いことです!

 その為に、「沖縄・琉球古武道とは、『日本剣術』のことだ!」っという言葉は、簡にして明な指摘なのです。


 沖縄の古武道である「棒」や、「釵」には確かに、明確な正中線や、演武線の認識と、その活用があります。

 さらに歴史を遡って詳細を調べて行っても、その(形の)存在は、あった(ような?)のです。


 しかし、他の「双節棍」、「鎌」、「親船子」、そして「短拐」などは・・・、元来は形などは、首里の武士の間には、存在しなかったはずである。

 まぁ~、中国渡来の影響が強い、久米の武士たちの間にはあったかもしれませんが、それとても「武術としての形」と呼べるレベルのものであったのか、非常に疑問だと思っています。

 それらの形は全て(?)、または大部分は近代、すなわち明治以後、琉球王国が崩壊したあと・・・、

 すなわち武士の武術が衰退・滅亡した後に、改に創作されたものであり、武術的な心身思想・操作の存在は、非常に「?」である っと、思っています。

 その事を私は、ズーッと以前から主張していましたし、その事柄を上記の先生は、良く理解なさって居られてのです。


 なお、素手の格闘の形、すなわちの空手の形も、近代になって競技用に、あるいは流派の存在感を増すために創作されたものが、多数巷に出回っており・・・。

 驚くべきことに、それが体育・体操、あるいはスポーツの祭典などで、トップを取っている現状がありますが・・・。


 ただ、それらは、体育・体操の形。

そして、スポーツとしての形であって、東洋の心身思想・操作、そして日本・沖縄の武術とは、ナンら関係が無い!ので、本ブログでは取り上げません。


 ただ、それらの近代(ごく最近です)のナンの意味の無い動きの連続である形を、古伝の沖縄空手の形との区別さえ、われわれ現代の空手家は出来なかったのだ!っという事実は、非常に深刻な事柄だとは、他人事ながら思っています。 

 まぁ~、ダーレも、ナンにも、分かって無かったのよ! っということの証明になるという、哀しい事実は残る訳ですが・・・。


 ただ、再三申し上げますが、これらの古伝の沖縄空手の形とされる、疑似(偽)沖縄空手の形の事柄や・・・。

 日本空手(主に松濤館系統)と、一部の沖縄空手の混交を、自らの歴史上に存在した武術として発達して行った、テッコンドーなどの事柄は・・・。


「武術として伝承された沖縄空手の再興」を謳う、私・新垣清と、国際沖縄空手道無想会の、修行と活動には不要なので、全て本ブログではカットして行きます。