もう、見れないよ!
わたくしは、もうズーッと以前から、週二回正午の前後(?)に、国際沖縄空手道・無想会の世界総本部道場で、四段の黒帯と、個人的な空手の研究を行っています。
このクラス、じつは正午からの一時間で個人対象では無く、通常のクラスだったのです。
でもある時に、このクラスの出席者の数が減った時期があり、その時に「済まんが、オレの研究の相手になってくれ・・・」っということで、この四段の黒帯氏が、相手を務めてくれることになったのです。
その後にありがたいことですが・・・。正午のクラスへの参加の問い合わせも数多くあったのですが、「いや、このクラスは、個人レッスンですから・・・」などの言い訳で断って、わたくしの方からお断りさせて頂いて、自分の研究のための時間とさせて貰っています。
道場経営者としては、最悪ですね!
この時間は、武術としての沖縄空手へのわたくしの探求の為の研究であり・・・。
その為に、この黒帯氏も、最初はナニがナンだかまるで分らない状態でしたが・・・。
いまでは、「イヤ・シハン、そこはチョット・・・?」っと的確な疑問や、「ここは、こうだと思います!」と、自分の正確な意見を述べるまでになっており、わたくしの修行にとっては無くては為らない存在となっています。
歳も近いですし、起業家として成功し、功成り、名を成した上に、二人の子供も医者と、弁護士という職業につかせた人間なので・・・。
こちらもあちらもナンの遠慮も無く、かつ彼も苦労人ですので、師弟としての礼儀もわきまえた上での、付き合いが出来る、非常に得難い人物です。
そして時間も、正午から1時までだったのが・・・。何時の間にか、ナンと午前11時から、3時ごろの四時間となってしまっています。
その日は、わたくしは3時過ぎに昼食を取って、僅かな仮眠をして、午後の五時からの少年部に備える。っとかなりハードなスケジュールとなりますが、自分の修行となる貴重となる時間です。
さて、この四段の黒帯と先日、形の確認のために、「日本空手の父」である船越義珍師と、「近代空手の父」である糸洲安恒師の高弟で、沖縄少林流の創始者である知花朝信師の形をYouTubeで拝見しました。
ナイファンチ、あるいは鉄騎と呼ばれる形の三段の部分で、腕を風車のように振る動作の確認のためです。
この件(くだん)の黒帯の高弟氏は「ウム・フム・・、やはり、この部分は、こうなっているか!?」っと、興味津々にPCの動画を観ています。
しかし・・・。
肝心のわたくしは、この動画が、まるで、観れなかったのです。
「済まん、〇〇(彼の名前です)!」。
「オレには、観れんっ!」っと短く言います。
それは、観た瞬間に、このお二人がナニを遣っているか? っがマルで分らなかったからです。
さらに、怖かったのは・・・。
このお二人の動作を観ることを、生理的(?)に、わたくしの心身が、拒否してしまったことです。
流石に、自分ながら・・・。
「ウフェーッ!」っと思ってしまいました。
わたくしは「ナイファンチ(≒鉄騎)」の形を、武術的に死ぬほど修行しました。
さらに本で、そしてYouTubeが登場してきた後は、動画でもそれこそ反吐が出るほど、観てきました。
その動作をノートにも記し、かつマイクロ・ソフトのエクセルを使って、その統計を取り・・・。
かつ、自分の修行での体系つけで得た、武術的思想・操作から・・・。
「ナイファンチ」の初段・二段・三段は、もともとは、一つの形である。
そして、それは結合されていた、いわゆる「ナイファンチ(内帆船、または南方拳の漢字表記か?)」という形が、存在していた! っとの確信があり、それを自分の心身操作として、証明も出来ます。
特にナイファンチ初段は、巷にある数多くの流会派に伝承されいますが・・・。二段、(特に)三段は、糸洲系統のものしか残ってないはずです。
ですから、上記のお二人の「ナイファンチ(≒鉄騎)」を、それこそ、世界中で一番観たはずです。
それほどまでに観て、研究したお二人の動画が、もう観れなくなってしまっていました。
余りにも見過ぎたので、恐れ多くも「飽きた!」っという訳では、決して無いのです。ただ・・・。
生理的に、無理だったのです!
0コメント