脳機能の再構築
(これは、前回と前々回のブログからの続きです。)
実は・・・。
私自らの再修業の途中の後半から、片足で立てなくなって行って・・・。
これって・・・(すなわち身体思想・操作とは)、所詮は、脳の問題なのかもしれないな!? っと感じるようになりました。
あのですね!
意地悪な読者の中には、「お前・アラカキは、自分の脳に問題があると、今頃気づいたのか?」っと、皮肉な笑いを浮かべる方もあるやかもしれません(アッ! 私、そんな人、大キライです!)。
さらに、通常の脳の持ち主。すなわち才能のある人間ならば、このような感触は起こら無いのでしょう?
しかし、どうやら私の中で、これは身体能力や、身体の障害ウンヌンでは無く、脳なのだ!。との仮説が生まれます。
でも・・・。事、脳となると・・・・。
私のような、非常に限られた働きしか為さない脳を持った人間には、もう大変です。ナゼか? って・・・。
だって、ただでさえ、小さい脳の機能で、脳自体のことを知ろうとする! っという事自体が、不可能に近いからです。
この件(くだり)は、自分で書いていても、切ないのですが・・・。
これは、ショウガナイ!
もう、自らの、限られた容積の脳でもって、結論に行き付くまで、修行をする以外に道は無いと覚悟を決めました。涙!
そして、修行の後期や終わった後で、想い至ったのは・・・。
私は・・・。ナイファンチの修行で、片足を上げた時に、もう一方の地面や床に着いていた足側に、体重を掛けるっという、通常の人間が普通にやる動作を・・・。
脳の認知機能と、修正機能を書き換えて、上げた脚に重さを残したまま、「転(コ)けろ!」、あるいは「倒(コ)けろ!」っと再構築してしまったのだ! と、やや理解できるようになりました。
想うに・・・。これって脳、それも主に、小脳の働きを、書き換えたのでしょうね!
では、なぜ、片足を上げるという不安定な状態を作った時に、反対の脚に体重を全て載せて、安定を取らないのか?
それは、その不安定な状態こそが、相手に自分の重さを掛けることが出来るからです。
そして、これが武術として伝承された沖縄空手、そして日本武道の極意なのです。
それを、この150年以上の近代化。あるいは、西欧化のお蔭で、武道が、そして武術として伝承された沖縄空手が、喪失してしまったものでもあるのです。
言ってみれば、私・・・。
自らの修行での大悟の果てとして、「転け!」てしまった。
あるいは、「倒け!」ることを、学んだのです。
笑い話のようだけど・・・。仕方が無い!
まぁ~、このブログで記していても・・・。「ナンだかなぁ~!」っと切なく思ってしまうのですが、これが修行の結果なのです。
では、序(つい)でに・・・、っと言ってはナンですが・・・。
宗教・・・。すなわち武道だけでは無く、仏教や修験道などで良く言われる、修行とは何か?とも、考えました。
それって、畢竟(ひっきょう)・・・。
脳の、書き換えに過ぎない!っと、これも会得しました。
畢竟っと、簡単に書くけど・・・。
この脳を書き換えを、生理的、あるいは本能的なレベルまで落とし込むっということは、それこそ命がけです。
だって、自分をもう一度、己の意思の力で殺し(アッ、怖っ!)。かつ、再生させることを、自分だけの力で成し遂げないと、イケナイのですから・・・。
私の知る限り、近代の空手の世界において、ここまで己の修行をした人間は皆無です。ゴメン!
他の武道と呼ばれる格闘スポーツ、すなわち剣道や柔道の世界においても、皆無に近いと思います。
なぜなら、これらの武術から創出されて競技スポーツ、あるいは競技主体の武道となったものは、試合競技に奔るからです。
もうこの事柄に関して記すと、本一冊書いてもゼッタイに足りないので、本ブログではカットね!
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