生理的、または第二の本能

「さて、この四段の黒帯と先日、形の確認のために、「日本空手の父」である船越義珍師と、近代空手の父」である糸洲安恒師の高弟で、沖縄少林流の創始者である知花朝信師の形をYouTubeで拝見しました。


 ナイファンチ、あるいは鉄騎と呼ばれる形の三段の部分で、腕を風車のように振る動作の確認のためです。」

「このお二人の動作を観ることを、生理的(?)に、私の心身が、拒否してしまったことです。」

 この生理的に、「ダメ!」って・・・。


 言ってみれば、若いティーンエージャーの女の子が、「アッ! イヤ!」っとか、「キモイ!」っと・・・。ナンか、嫌なモノを観た時とかに叫ぶのと、まったく同じなんですよ!

 まぁ~、還暦も過ぎたムサ臭い男が・・・。「イヤッ!」も、{キモイ!」も、ナニも無い! っと・・・。

 我ながら、情けないと言うか、気持ち悪いのですが・・・。 

 ダメなものは、ダメなのです!

 心身が、もう受け付けないのです。

 それは、脳が拒絶してしまうのですから・・・。


 すなわち、私は、「日本空手道の父」である船越義珍・師、そして「近代空手の父」である糸洲安恒・師の高弟であり、沖縄小林流の祖である、知花朝信・師の空手の形、この時はナイファンチ≒鉄騎と呼ばれる形の三段の部分を、自らの武術として伝承された沖縄空手の修行のために、拝見しようとしていたのです。


 この時は、すでに国際沖縄空手道・無想会の世界総本部道場で、高弟であるR・S四段と試行錯誤で、もうドップリと、私の頭の中は全て、武術的心身思想・操作で満たされている状態です。


 ただでさえ、その容積が小さいと噂される私の脳(涙!)は、その試行錯誤中に生まれた疑問で一杯であり、それ以上の余裕がありません。


 その時に、もう腕を風車のように回す。または、飛行機(のプロペラ)ブンブンなどを思わせる、体育・体操の動作を見せられると、上記の可憐な女学生(懐かしいなぁ~、この表記)のような、反応をしてしまったのです。


 私の、限られた容積を持つ脳は、自分の修行の果てとして・・・。

 武術的な心身思想・操作以外の動作を、生理的に受け付けなくなってしまっていたのです。


 でも、これって・・・。

 別に体育・体操的、あるいはスポーツ的、またはレクリエーション、あるいはエンターテイメント的に空手の形を演じている、現代空手の動作や形を見ても、別に生理的拒絶感は無いんです。

 だって、「それは、それ・・・。これは、これ・・・」と、割り切っているからです。

 まぁ~、時間かかったけどね・・・!


 だれも卓球の動作で、テニスのフォームを批判しません。

 同じトライアスロンでも、誰も水泳のフォームで、自転車の乗り方を指導しません。


 武術として伝承された沖縄空手と、「近代空手の父」である、糸洲安恒・師の掲げた志(こころざし)の為に、変革された上記のお二人の志向した空手とは、それほどの違いがあります。

 それを、同じものとして捉えて判断しようとした、私の、脳の、間違いなのです!


涙!