枠が大きくなるほど、修行は困難になる
私が、「武術として伝承された沖縄空手」の極意・真髄を得るための修行とは・・・。
その大部分が、近代化によって喪失し・・・。
かつ自らの文化が内包する、伝承時の検証の欠落・・・。という致命的な欠陥を抱えてままに、歴史を連ねてきた、東洋・日本・沖縄の心身思想とその操作を、完全に理解するということが、目的でした。
これは武術として伝承された沖縄空手と、記していますが・・・。
それは沖縄・日本・東洋の心身思想の根源を掘り当てて、理解しなければ為らないほどの難行でもあり、その為が故に・・・。
沖縄空手、沖縄・琉球古武道はもとより、日本の武道・武術のみならず・・・。中国武術の心身思想・操作まで、さらに文化、そして歴史の本髄まで掘り下げなければなりませんでした。
その為に、その根源を掘り当てた時には、すなわち修行が満行した暁には、それこそ開眼するというか・・・。
一瞬ではありますが・・・。目の前の世界が、全て地球の果て(丸い地球に果てがあるのかは、別としてね)まで、見渡せる気持ちとなりました。
イヤ! 大言壮語を許していただければ・・・。
宇宙の中心まで、垣間見えた!、気さえしたのです。
まぁ~、凡人の私如きの大悟は、その後、スグにその光景が消えてしまって、周りが再び闇になるのですが、これは浅才の身故に仕方が無い(涙。
これは以前記しましたが・・・。競技空手に邁進している空手家諸氏には、ゼッタイに無理な境地です。
ここ・・・。誤解・曲解を招かれかねないので、注意して記していきます。
私は、自分の修行と競技としての空手に邁進している人間たちの、優劣を記している訳ではないのです。
自分の修行を自慢しているわけでは無く、私自身が競技空手大好きであり、かつ地方の道場としては、非常な稀なほど、それこそ多くの優秀な選手を輩出させた心算です。
でも・・・。
どんなに苦労しても、それは競技に勝つことへの執念であり、努力なのです。
競技自体、競技のルール自体に、疑問を持つことはありません。
そんな無駄なことに時間を潰すよりは、自分がその競技内で強くなる。そして出場させる選手を強くさせることに、時間を割くべきであり、それが優れた選手であり、指導者です。
そこには、競技というものを成り立たせる、枠組みへの疑問は、皆無です。
でも、上記の理由で、その真髄を失ってしまった、武術として伝承された沖縄空手の真髄を理解し、己のものとするには・・・。
その枠、あるいは域というものの、成り立ち自体を、理解することから始めなけば為らないのです。
それは競技の枠と比べたら、ナン十倍も広い枠組みなのです。
その広さを覆い尽くすためには、それなりの深さを、必要とするのです。
その枠と、その枠に内住する心身思想・操作を理解することに、私は五年の修行を必要としてました。
そこで得たものが、重力の存在の認識とその活用です。さらに重力の作用する地球上で、二本足直立歩行をする人間の身体の在り方です。
これって・・・。
全て、自然科学です。
でも神や仏に仕えるために、修行をする聖職者の枠組みとは、私が修行した武術・武道のそれと比べると、まったく次元の違うレベルなのです。
彼らは前世・現世・来世と言う、ある種、我々、人類が、二本足直立歩行を為したが故に異常に発達した脳の働きから生まれてきた、虚構・フィクションへ、己の一生・半生を掛けて挑むのです。
これは、この地球上で、我々、人類のみが、出来ることなのです。
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