寝食を忘れる修行の期限

 お釈迦様・仏陀は、自らが悟りを開く以前に、ヒンズ―教で行われる難行苦行の修行を、6年やられたとされています。

 私、人間が寝食を忘れて一つのことに没頭できるのは・・・、 3年ほど・・・。長くて、5年までだろうと、自らの経験から思っています。

 なぜか?

 それ以上長くやって行くと、死んでしまうから!です。


 まず自活している人間では、余程の大金持ちでなければ5年ほど経てば、、蓄えを使い切り、経済的に困窮して喰うに困ってしまいます(これ・・・。実感です)。

 一応、周りとの交わりも絶っていますので・・・。他との、人間としての交流もできません。その為に、孤独感というものは、筆舌に尽くしがたいものがあります(これも、実感です)。

 すなわち飢えと、孤独との闘いに、常に臨んで行く状態となります。

 これは、後に、下手をすると、TPSDになってしまうほど、キツイです。


 次に、ここまで一つのことに集中していくと、脳が持ちません。

 人間の身体も、脳も、休息が必要です。


 しかし、寝食を忘れた修行というのは、それこそ自らの身体を酷使します。さらには、夢の中にまで紛れ込んでくるものです。

 もう一日24時間、週7日、身体も脳も、休息が取れないのです。

 これは、心身を著しく摩耗させてしまいます。


 ですから、誤解を恐れずに記しますが・・・。

 あのお釈迦様でも、修行の後半、すなわち六年目辺りからは、自らの修行に、非常に疑問を持ちつつ、ややそれに没頭できなかったのではないか? っと愚考します。


 正直に記しますが・・・。

 人間、同じ事を、同じ時間やっていても、寝食を忘れるほどに打ち込むのと、やや一歩身を引いて行うとでは、心身の疲労度は各段に違います。

 お釈迦様が、その難行苦行の修行を捨てて、本格的な瞑想に入って悟りを得たのは、5年を過ぎたあたりで、助走の期間があったからだとも、勝手に思っています。


 私今回のコロナ禍で、生徒が道場に来ないために時間が出来(まぁ~、要するに暇になった)ために、ネットで千日回峰行や、福井の永平寺での禅の修行などを拝見した時に・・・。

 非常に、下賤な想いですが・・・。

 「嗚呼ッ~、やはり、衣・食・住の保証はあるんだな!」っと、なぜか、納得してしまいました。

 考えてみれば、当たり前のハナシです。


 この三つ、無いとキツイです。ホント! 死ぬほどキツイです。ってか、下手をするとホントウに死んでしまいます。

 人は、この衣・食・住の三つを確保するのに、汗水垂らしているのに・・・。

 それを一時的にしろ省みずに、または横において、修行に入るということは、毎日が発狂するほどの厳しさはあります。

 下手すると、修行という本来の目的とは大きく外れてしまって、ホームレスに成りかねませんもんね!


 でも、ある意味・・・。

 本来の出家って、ここまでの厳しさを持ったものであるのかもしれません。

 これって、文字通り「出家」であり、「家出」では無いんです。

 犬も猫も「家出」は、するけど・・・。「出家」はしないんです。

 イヤ!「出家」出来ないんです。


 人間という厄介な生き物は、自らの脳が作り出した虚構・フィクションの為に、自らの「家(含・衣、食)を出る」という行為まで選んでしまうのです。


 そこに、人間の業があると同時に、人間の素晴らしさがあるのだと思っています。

国際沖縄空手道 無想会 International Okinawa Karate-do Muso-kai