泊手のローハイの形の、原型とは

 一応本ブログでは、国際沖縄空手道・無想会の伝授する、「ローハイの形」は、泊のローハイ。あるいは、泊の武士・松茂良(まつもら・マチモラ)のローハイっとなります。

 それを私は、以前に弊会の日本縦断セミナーで、伝授しました。

 しかし・・・。

 その後にも、自らの修行を続け・・・。

 「このローハイでは、武術として伝承された沖縄空手において必須である、前後の演武線、そして左右の演武線の思想と、その活用が皆無である!」との結論に達したのです。


 この演武線の思想と活用は、私が十三(セーシャン)の形や、五十四歩の形の解明する際に発見したもので、特に横(左右)の演武線の存在無しには、五十四歩を解明することは不可能でした。


 さらに、今ナイファンチの初段・二段・三段の元となったナイファンチの全伝においても、完璧に体系立った、演武線の活用を理解するまでになっています。

 いまの私は、この演武線から自分の身体操作が外れてしまうと、奈落の底に落ちていくような恐怖感さえあります。


 まぁ~、恐怖感というのは大げさにしても、不快感というか、心身が納得しなくなってしまているのです。

 すなわち一本のロープを渡した上で、あるいは平均台の上で演武をするということが、武術として伝承された沖縄空手の修行方法です。

 これなくして、自らの身を守れないとしても良いでしょうし・・・。形の、本来の在り方でしょう。

 そして、その平均台を踏み外してしまうと、奈落の底が待っている!

ならば、まだ良いのですが・・・。


アンタ(っと突然、タメ口)! 

両足が平均台から左右に外れて、股間を強(したた)かに、打って御覧なさいって・・・。

 もう、涙目くらいでは、済まないって! っと、思うほどに、私は自分の脳を書き換えてしまっていたのです。


 そして、首里手の本家としても良い、祖堅方範師のローハイの形を見て、「ウフェー!」っとなってしまったのです。

 「この人、演武線に沿って、ローハイの形を使っている!」 からです。首里の心身思想に沿って、この形を使っているのです。

 これは「四十五戦(セイエンチン)」の形を、一心流の創始者である島袋龍夫師が、前後の演武線にそって演じているのと同じです。


 「ンンッツ!」では・・・。

 「巷に出回っている、ローハイは、ホントウに松茂良興作の作なのだろうか?」

 「泊は田舎だから、国都である首里ほどには、その心身思想・操作に厳しさが無かったのだろうか?」

 「それとも・・・。多くの泊手の形と同じく、伝承の過程で武術的に劣化して行ったのか?」

 っと悩みましたが、これはもうエビデンス自体が残っていないので、答えの出る質問ではありません。


 ここで問題になるのは・・・。

 私は、自らの修行によって、この舞踏化した泊のローハイ、あるいは松茂良のローハイと呼称される形を、武術的にある程度まで、復元できるということなのです。


 この稿、続く。

国際沖縄空手道 無想会 International Okinawa Karate-do Muso-kai