クーシャンクー・観空の形を知れ

 私が沖縄での修行中に、耳に胼胝ができるほどに聞かされた、

 ♬「クーシャンクー」トゥ(と)・・・「ナイファンチ」♬。


 これが、琉球国時代に、武術として伝承された沖縄空手。

 すなわち沖縄手、首里手と呼ばれるものの基本であり、究極の形です。


 極論すれば・・・。

 この二つの形さえ理解でき、かつ完璧に習得してしまえば、後は自分の好みで形を選べば良いだけです。


 クーシャンクーと呼ばれる形は、漢字表記で「公総管」っと記されるはずです。

 これは中国武術(軍事教練)の套路の名称では無く、伝えた人間の姓と、武官としての地位(総管の位)なはずです。

 すなわち来琉した冊封使の護衛をしていた、中国清朝の軍隊・・・。

 これは後年の中国清朝軍漢人部隊では無く、満州八旗軍の軍人だった可能性が高いです・・・。

 公と言う姓を持つ、総管の位の軍人が伝えた形という意味でしょう。


 更にモトモトは、他の多くの中国の套路と同じく、左側に進んで、その後にターンして、右側に進んで元の位置に帰ってくる。

 すなわち、現在の「四方クーシャンクー」と呼ばれて残っている形の、形態であったはずです。


 一方のナイファンチの形は、南方拳、または内帆船の漢字の可能性が高いですが・・・。

 このナイファンチの形は清朝の水師、すなわち(漢人の)海軍の形の可能性が非常に高いです。ってかわたくは確信しており、それに近い套路の動画も存在します。


 ナイファンチは、身体操作の宝庫です。

 「本部の猿」こと、本部朝基・師は、近代においてこの形で得られる身体操作を、最も習得した人間の一人でしょう。

 しかし、私が知る限り・・・。本部師は、この形の意味することは、理解していませんでした(文責・新垣清)。まぁ~、時代背景をしれば、それは仕方の無い事だと理解できます。


 そして、クーシャンクー(公総管)の形においても、近代に入って・・・。

だ~れも、その形の意味を、理解していませんでした。


 ですから、この形における身体操作などを語ること自体が、論外であり・・・。陳腐なものなのです・・・。

 形の構成も、ゼンゼン意味不明。

 いわんや機能などは、もっての外・・・

 ですから、この形は公相君、クーサンク―、クーシャンクーなどと呼称されても・・・。

 全ては、体育・体操。または踊り。あるいは、ダンスとしてしか習得されていません(文責・新垣清)。すなわち、飛んだり跳ねたりの身体操作です。


 更には、クーシャンクーには、大と小と呼ばれるものがあり・・・。これは、日本本土でも観空・大。そして、観空・小と呼称されて区別されてます。

 思うに糸洲安恒師が、クーシャンクーから、体育・体操用にと製作されたものが、プロトタイプとして、残ったものだと推察します(私見ですが・・・。当たらずとも、遠からずだと思っています)。


 実は、このクーシャンクー・観空の小。

 私、沖縄での修行時代には学んでいません。

 いまでも、出来ません。

 そして、やや・・・。という以上に、非常に蔑ろにしていました。


 でも、今年に入って、国際沖縄空手道無想会の世界総本部道場における、R・S四段との稽古で、彼が以前から述べている

 「シハン・・・。この形って、クーシャンクーと、平安初段ー五段の過度期にある形では、無いでしょうか?!」

っという意見に、真正面から向き合ってみました。


 実はこの形、私が沖縄での修行時代に習得させられた、五十四歩の形が嫌いであった。っと同じように、嫌いなのです。

 ってか、学んでないし・・・。学ぼうという気持ちも、沸かない形なのです。


 五十四歩の形は、沖縄時代の未熟な私でさえ、「ナンじゃー、これ!?」っと思うほどに、滅茶苦茶な形でした。


 まぁ~、今から省みれば、形の動作において、武術の形から、体育・体操への省略が極端に走り過ぎて、形の構成・機能・応用・様式が、まるで消滅してしまったのを・・・。

 幼いながらも(あるいは、幼いが故に)、私の心身が感じてしまっていたのかもしれません。


 ですから、上記のクーシャンクー・観空の小に関しても、R・S四段の意見も、聞き流し・・・。

 あるいは、「まぁ~、そのうちに・・・」などと、言葉を濁していたのです。

 何時もながらの、私の怠惰による、「逃げ!」ですね!?

 でも・・・。


この稿、続きます。

国際沖縄空手道 無想会 International Okinawa Karate-do Muso-kai