形の漢字表記って、数じゃないの!?

 前ブログの「形の漢字表記も、体系化されているのです!」において、現在の空手の形において、一応信頼できる範囲で、漢字表記が残っており、その漢字表記の意味を考察してみると・・・。


 ナンか? 以下の通りに、数字に関わるものが多いな!? 

 っという結論に、誰しもが行き付くと記しました。


 さらに「空手は、花にあらず!」においては、あらゆる文明・文化において、価値あるものを後に続く人々に伝える、すなわち伝授しようとした場合には・・・。


人間という生き物は、必ずっと言って良いほどに、体系化して伝える!

と、記しました。

 その体系化を作るのは、その固有の文明・文化の保有する考え方。すなわち、わたくしが述べて居る、心身思想です。


 では・・・!

 一応、ここで、武術として伝承された沖縄空手の形においては、中国渡来であるということは、日本語・沖縄語では理解出来ない、カタカナ表記の、すなわち外来語、外国語であるということは・・・。

 当時の琉球王国の外交というものを考えた場合に、間違いは無いでしょう。


 さらには、この中国渡来の徒手格闘術の形(套路)の名称は、非常に数を表す漢字表記が多い! 

 すると、中国においては、これらの形は、数をベースとした思想体系に基づいて、呼称されているのではないか? っという知的な推察を生み出すことが出来ます。


 前のブログから、7つの形の漢字表記が表す数を、現代のわれわれに分かり易い、アラビア数字で記してみると・・・。

3,13,18,24,36,54。

そして,

108

っとなります。


 でも・・・。ウン―ッ!

 これだけでは、ナンか法則(体系)が、在りそう! 

でも・・・、そうでも無さそう! 

っという、中途半端な思いしか沸いてきません。


 ただ・・・。

 これは、ナンか13という例外はあるけど・・・(これについては、後記)。

3という数を基調としている、数字の法則(体系)ではないか?

っということは、漫然ながら、列挙された数を眺めていると誰しもが、思い付きます。


 でも・・・。

 3の数で表されるサンチン(三戦)の形とは、新興・那覇手の剛柔流、そして上地流の形であり、琉球王国時代に、武術として伝承された沖縄空手の形では無い! っという意見が出てくるかもしれません。


 しかし、昔の首里手には、いわゆる「首里サンチン」と呼ばれる形が存在した!

っという、口碑があります。


 さらに・・・。

 108とは、人間の持つ、煩悩の数。そして、その為に除夜の鐘で撞く時の数でもあり、終わりを示す数とすれば・・・。

 この法則(体系)を締めるには、非常に最適であるとの思いも沸いてきます。


 ただ、私のような人間には、鐘を千回撞いても足りないほどの、「煩悩」があるのですが・・・。

 まぁ~、そこは良くしたもので・・・。108には、「たくさん」っという意味もあるようです。

 すなわち、∞のようなものなのでしょう! っと納得。


 すると・・・。

 この数の法則とは、3から始まって、108で終わる法則を、数式に基づいて検証するれば良いだけです。

 それも、中国の数式とは、日本と同じく、かつ人類の数ある文明・文化の多くで採用された、10進法であるはずですから、それを利用するば良いわけです。


この稿、続きます。