クーシャンクー小と、セイサン(十三)の形

 クーシャンクー・小、あるいは観空・小と呼ばれる形には、武術的な意味での、「技」と呼ばれるものがありません。


 現在の体育・体操化、スポーツ化された形には、当然の如く東洋心身文化の「業」は、存在しません。


 でも相手が、そこにいて、自分がナニかをやっている! っという程度の「技」はあります。

 しかし、このクーシャンクー小、観空小の形にはそれが無いのです。

 それこそ、ノッペラ坊-の形なのです。


 これは、感覚的には「十三(セイサン)」の形に、酷似しています。

 十三(歩)の形には、「業」どころか・・・。「技」が、皆無に近い状態で伝承されています。

 私は、この十三歩の形を武術的に解明する際に、もう絶望というか・・・。

「これは、無理だな!」

っという想いに、幾度も突き落とされてしまいました。


 しかし、このクーシャンクー小、観空小では、その想いはありませんでした。

ナゼか?

 それは、この形は糸洲安恒師が近代化のために、クーシャンクー(大)の形から、意図的に危険な技を全て消去して、体育・体操用に作り変えたものだ! 

っと割り切れたからです。

 だから、ノッぺラ坊だろうが・・・。テルテル坊主だろうが、私にとっては、もう覚悟していたので、ナンでも良かったのです。


 でも・・・。

 その、体育・体操化への変革と言おうか、改変っと言うか・・・!?

 そのレベルが、正直に言って・・・、

 「ここまで、ヒドイのか?」

っというのが、私の(勝手な)想いでした。


 なぜ、勝手な想いなのか?

 それは、糸洲安恒・師と私は、まったく真逆な立ち位置にいるからです。


 糸洲安恒・師は、それこそ必殺の術である空手から、近代化のために、危険な業・技を全て抜いて・・・。

 児童・生徒に、安全な体育・体操用のモノにしようと、奮闘努力した人物です。

 それが、現在の空手です。

 糸洲安恒・師こそが、近代空手の父なのです。


 しかし、私・新垣清は・・・。

その牙の抜かれた空手に・・・、もう一度、牙を植え付けようとしている人間です。

 言ってみれば、「時代錯誤」。あるいは、「アナクロニズム」の極致にある人間っとされても、ショウガナイのです。


 ただ、その牙の再生を試みる際に、糸洲安恒・師と、その考えに共鳴した人々(近代沖縄空手の、全ての人々でしょう)が、どの程度のレベルでの牙を抜く作業を行って、体育・体操用に作り替えたか?

 すなわち彼らはどこまで、変える心算だったのか? 

っという疑問は、常に私の中にありました。


 そのために、私の、武術として伝承された沖縄空手の再興のための修行っというものは、それこそ手探りの状態でしか無かった。っと言っても、過言ではありません。


 そのための、平安の形シリーズの元となったと言われる、「チャンナン(江南)」の形の復刻。あるいは、再構築の試みだったのです。

 その辺りの経過は、南風氏のブログに克明に述べられています。

 江南(チャンナン)のフルモデルチェンジ | 南風のブログ (ameblo.jp)


 平安初段-五段は、チャンナンの形が元となっている。 

 平安初段ー五段は、首里手の基本である究極の形である、クーシャンクーを分割して構成されている。

 その他にも、ナイファンチ、パッサイの形の部分も挿入さている。

 など・・・、っという口碑があります。


 しかし現代の我々は、大本となっている、武術としてのクーシャンクーの形の意味さえ、分かっていませんでした。


 さらには、この大本の武術としてのクーシャンクーの形から、如何にして体育・体操用の形にして行ったのか? 

の過程さえも、当然の如く不明だったのです。


 しかし・・・。


この稿、続きます。