ここまで変えられていたなら、ゼッタイ無理だ!
武術的に見てみれば、「技」っというものがまるで存在しない、いわゆるノッペラボーの「クーシャンクー・小」。または、「観空・小」の形です。
同じくノッペラボーの、「セイシャン・セイサン」と呼ばれる、「十三歩」の形を彷彿させるものです。
ただ、両者を比較検討してみると、ーシャンクー・観空の小の形は、型のクーシャンクーを、図的に改変・簡素化している形です。
全く別の、心身思想で、改められた形なのです。
それとは別に、「十三歩」の形は、伝承の過程で、ナニが、ナンだか分らん! っと言った塩梅で、心身思想の考慮など無しに、改変されたものです。
ですから、クーシャンクー・小は、武術としての空手(の形)から、体育・体操化のための空手への変革・変更への、過度期にある形。
すなわち、近代日本社会の中核。
学校教育へ移入させるために、糸洲安恒・師とその周辺の空手家たちが、いかなる思いで、どこを・どう、変革させたのを知る上で非常に重要な形です。
中国・原型と沖縄化、プロトタイプ。
かつ、終了形の四つ。
下記のように中国・原型の形から、沖縄においてクーシャンクー(大)から、クーシャンクー・小。そして平安の初段から五段へと、その過程を知る四つの、形(とその集団)が、明確に形としても、口碑としても残っている形の流れなのです。
余談ですが、原型の清朝満人八旗の軍人である公総管(クーシャンクー)が、移入した原型に近い、「四方クーシャンクー」。
その左右の線、すなわち横移動を、琉球王国の身体思想・操作に改編した、前後への移動に変革した「クーシャンクー」。(これに下記の、「小」と対比させて、「大」を付ける流会派もあります)。
それを、近代化に合わせて、改変・省略して行こうと試みた「クーシャンクー・小」。
最後に、クーシャンク―(大)を分割・省略した、「平安初段―五段の形」。
などとなります。
っと・・・。
如何にも、今は、分かったフリをして記していますが・・・。
これって、今年になって、今までは、完全に無視というか、聞き流していた・・・。
R・S四段の、「シハン、クーシャンクー・ショー(小)は・・・?!」っという提言を、昨年末の私への悪魔の囁きがあったために、いやいやながらも、真正面から取り上げなければ為らない立場に、追い込まれたに過ぎないのです。
この辺りの事情は、以前のブログを参照にしてください。
糸洲安恒・師の空手の近代化への決意は、空手家、武術家、武道家のそれとは、全く別です。逆なのです。
「如何にして、相手を瞬時に完全に、殺傷するか!?」っというのが、言ってみれば、武術としての思想です。
でも、これでは余りにも、身も蓋も無い言い方なので・・・。
「如何にして、相手を短時間で、行動不能にするか!?」 などと、やや水で薄めた言い回しなどを、私はしますが・・・。ブッシャケテ言ってしまえば、同じことです。
でも、糸洲安恒・師と、その周辺の空手家たちは、如何にして、殺傷能力の高い業・技を取り除き安全に、かつ児童・生徒が遣り易い身体操作にするか!
っが、ゼッタイ・必要条件だったのです。必須なのです。
真逆なのです。
でも、これって究極的には、「ラヂオ体操」になるんじゃない!?
っとの、想いが沸いてきます。
そうです!
極論すれば、彼らが空手を次代に残そうとした時に試みたのは、空手を、ラヂオ体操化することだったのです。
私は、このクーシャンクー(小)を解明して(習得はしていません!)、その変革のモノ凄さに、ホントウに唖然としてしまったのです。
だって、これこそが、近代空手の心身思想の原型となった、考え方なのです。
ここまで、心身思想が違い。ここまで、変革を試みていたのならば・・・。
それを武術として再構築するのは、無理だ!
っという、想い・・・。
イヤ! ハッキリ言ってしまえば・・・。
憤りに近い想いさえ、湧いてきたのです。
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