チャンナンの形と、クーシャンクー・小、観空・小の形
コロナ禍で寝込んで、その後も三週間ほどフラフラし、体重も7キロほど落ちた時・・・。
因果なことに・・・。
ナニを考えていたかと言えば、「チャンナンの形」のことでした(笑)。
考えていたというよりは、頭の中に浮かんでいたとしても良いでしょう。
将棋好きの方なら、お分かりでしょうが・・・。
将棋の上手い方々は、実際に駒を手に取らずとも、頭の中で棋譜を描き、勝負することが可能です。一名、「目隠し将棋」っとも呼ばれるものです。
私、自分の習得している形は、当然ですが「目隠し演武」できます。さらに二つの形を、対比することも可能です(ただ、この頃はボケがヒドイので、昔やった形を思い出せない時も、多々ありますが・・・)。
その時も、新垣清・創作のいわゆる「チャンナンの形」を繰り返し、繰り返し頭の中で行っていました。
そして、「これて・・・。クーシャンクーの形、そのマンマじゃん?!」っと思ってしまいました。
私、ナンと平安の初段ー五段の原型を探求するあまり、その完成形は、クーシャンクーと同様なモノになってしまっていたのです。
すなわち糸洲安恒・師が、クーシャンクーを元にして平安の形を創作したということの、全く逆の過程をやっていたのです。
まぁ~少しはパッサイ(八十一)や、ナイファンチ(内帆船・南方拳)の動作も入りますが・・・。
さらに言えば、武術としてのクーシャンクーの形を解明していますので・・・。
簡素化、簡単化されて平安の形に導入された動作の、元の武術的な意味と動作も完全に理解できます。
自分が糸洲師とは、全く逆の過程を、無意識のうちに辿っていたことに、唖然とすると同時に、では・・・。
平安二段(松濤館・極真会館系統の初段)は、一体どこに入るの?
っという強い疑問が沸いてきます。
平安二段は、どこにも入りません。
クーシャンクーにも、ナイファンチにも、そしてパッサイ(八十一)の形にも・・・。平安二段を、彷彿させるような動きは無いのです。
ならば・・・。この平安二段こそが、幻の形である「チャンナンの形」なのでしょうか?
もしそうだとしたら、一体この形は、何処から来たのか? 誰から、誰が、学んだ形なのか?っという当然の疑問も沸いてきます。
年が明けて、少し体力が回復して、道場も稽古始めなどがあり、その後にR・S四段との、個人稽古が始まりました。
そして、私の疑問への答えの手がかりのために、糸洲安恒・師がクーシャンクーを改変したであろう、クーシャンクー・小。あるいは観空・小と呼ばれる形を、徹底的に研究しました。
この形は、武術的に考察してみると、「ダメな形」を絵に描いたように、ダメな形です。
形の長さも「小」と言う名前のわりには、下手したら、「もとの形である『大』より、長いんじゃないの?!」っという疑問さえもが、湧き出る形です。
まぁ~、当時も、そのような私の想いと、同じような感想を持った空手家が、多くいたのでしょう?!
ある意味、プロト・タイプとして、打ち捨てられてしまった形です(文責・新垣清)。
この稿、続きます。
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