創作形では、ダメだ!
ナイファンチを、隗より始めっとしての私の空手(再)修行は、術として伝承された縄空手の再興あり、それは琉球王国時代に伝承された空手の形を、武術的に再生させることでした。
それには当然ですが、東洋の心身思想・操作に基づいてたものであり・・・。
そのために武術的に正しい身体操作を出来るように、自分の身体も、その操作も、完全に変革しました。
そして、ナイファンチ初段・全伝、クーシャンクー(公総管)、パッサイ(八十一戦)、セイシャン(十三)、五十四歩、ローハイ(羅漢)の形を、武術的に正しく伝承できるまでにはなりました。
陳腐な言い方ですが・・・。全てが、必殺の形です。
そして各形の構造・機能・様式・応用は勿論のこと・・・。その由来と移入年代、漢字表記なども、可能な限りに調べ尽くしました。
これ以上は、タイムマシンで当時に遡る以外に方法は無いとまで言えるほどに、突き詰めた心算です。
ただ一つ・・・。原型まで遡ることが、出来なかった形があります。
それが、平安初段―五段の原型となったとされる、「チャンナンの形」です。
それを、私は、必死の想いで、武術的に再構築させる努力を行ってきました。
その辺りの経緯は、南風先生のブログに詳しいです。
一応、完成させたな!?
っとは、思いました。
しかし、それは私、新垣清の創作形である!
っという、但し書きが付くものです。
私は、自らの修行の結果として、平均点くらいの武術としての空手の形なら、創作することが可能です。
そのために私は、自らが形を創作するのを、強く自らに禁じていました。
それは、私の個人修行の相方を務めてくれているR・S四段とも、肝に銘じていることです。
なぜなら・・・。
空手の歴史を研究して、明治以後の空手人が創作した空手の形の、余りにもの酷さに唖然としていたからです。
そこには、私がナイファンチの修行で到達した、武術的心身思想・操作が皆無であり・・・。
かつ、空手の形に必須である「構造・機能・様式・応用」も、皆無だったからです。
彼らは、武術としての形とは、何であるか?!
っという最大の課題を解き明かすことなく、自らが形を創作してしまったのです。
例外は体育・体操用という目的を明確にした、例えば松林流の宗家である、長嶺将真・師の創作した、「普及型・I」のような形です。
これは当たり前のハナシですが、武術的な効用とは、全く別な目的で創作されているからです。
しかし、「チャンナンの形」は、沖縄空手界の大いなる謎です。
そして、それは数多くの課題、疑問、謎を解いてきた私にとっても、最後に残る大きな課題であったのです。
しかし、これだ! っという形を見つけ出すことも、文献もありません。
そのために、自分で形を創作するのを禁じていながら・・・。
「チャンナンの形」の再生という名目で、その創作を行う以外に道はありませんでした。
しかし・・・。
どうしても・・・。どうしても・・・。この形は・・・、すなわち、この「チャンナンの形」は、新垣清の創作形である!
っとしなければ為らない矛盾に、悩みます。
名前を借りたのです。いやっ! もっと直截的な言い方では、「名前を剽窃」したとしても良いでしょう(涙。
これでは、大言壮語するようですが、私の、漢(おとこ)としての矜持が、許さないのです。
ここまで修行をしてきて、こんな結果にしか終われない自分が、許せないのです。
その悩みが、コロナ禍で病に伏した後の、回復期の悶々っとした思いの一番の理由です。
この稿、続きます。
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