パッサイ(八十一戦)の原型まで解る
正真正銘の「チャンナンの形」と、その時系列における推移。
そして「パッサイ(八十一戦)の形」の大・「中」・小への武術的推移と、体育・体操的な変革の時系列的な変化。
すなわち、中国清朝漢人部隊の軍事教練の徒手格闘術が、どの時期に、どの人物の手によって、琉球王国時代の沖縄に移入され・・・。
それが、どのように琉球の文化と大和の文化(日本剣術)の心身思想・操作によって、変革されたのか?
元となる中国での軍事教練での名称(漢字表記)は、どのようなモノであったのか?
その技の意味は、どのようなものであったのか?
その変革の世代における人物は、だれだれなのか?
その変革は、何時頃に最終形を生み出したのか?
その、主要人物は誰なのか?
などなど・・・。
すなわち、空手の、そして空手界の謎などというものは、全てその大部分を私・新垣清は解き明かしました。
そしてなぜパッサイと呼ばれる形には、左足を前で交差する、松村正統を名乗る、祖堅方範系統のものと・・・。
左足を後ろで交差する、他の流会派のパッサイの形が存在するのか?
さえも、中国から移入された八十一戦(パッサイ)の形の原型に近づければ、それは一方が間違いで、他方が正しいのでは無く・・・。
形の構造を中国心身文化から、琉球の心身文化によって、変革した時に起こった変化であり、混乱故である!っとさえも、理解しました。
幻の形とされる「チャンナン(江南)の形」。名称にも伝承体系においても、技術的にも不明だらけで、混乱を誘う「パッサイ(八十一戦)の形」の全てを、解明しました。
やはり、松村宗昆は、天才です!
この時系列を明らかにすることで、雑多な有様にみえる形の存在を、時系列で体系立って説明することが可能になり・・・。
それにより無形の文化財である、形の原型を辿る過程での、エビデンスを明確にすることが、出来るようになりました。
正直に記しますが・・・。 流石の私も、ここまで解明できるとは、思ってはいなかったです!
\(^_^)/
この全てに体系立った、武術として伝承された沖縄空手とその形を、次は分かり易く、国際沖縄空手道・無想会への正会員への伝授に邁進していこうと思っています。
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