松村の天才に挑む

 糸洲系統の大・小・(極)小などのパッサイの形は、近代化を図る日本社会の教育現場に、琉球王国時代に武術として伝承されていた沖縄空手を体育・体操化、そして現代におけるスポーツ化のためです。

 その為に徹頭徹尾に安全性、簡易性を追求しています。

 さらに、その後のスポーツ空手では、競技化のために大幅な変革がなされています。


 このような形を、武術的に理解しよう・・・。

 すなわち格闘術の業・技として、いわゆる形の分解という行為をすること自体が、無理・無駄な行為です。

 端的に言ってしまえば、 現代空手の形は、使えるはずが無いのです。


 私・新垣清は・・・。この私自身にとっても、驚愕すべき事実を受け入れるのに、大いなる時間を要し、かつ精神的にも大いなる失望を受けました。


 しかし、その事実を事実として受け入れ・・・。

 今まで自分が学んでいた空手の形とそれを生んだ、心身思想・操作を全て否定し・・・。

 いちから、武術として伝承された沖縄空手を習得するための修行を行う上で・・・。


 糸洲師の手によって改変、簡素化される以前の空手・・・。

 すなわち元来の空手のカタチでの形と、その心身思想・操作は、一体、使えるのか? 

 そして、一人の漢(オトコ)が修行をするに、値するものであるのか?

 っと言う課題に、大げさに言えば、己の人生をかけて挑みました。


 その結果、得たものは・・・。琉球王国時代において伝承された、武術としての沖縄空手は、古今東西において、世界最高峰に位置するものだ!

 っという、確信です。\(^_^)/


 いや、位置すると記しましたが、本当の所は生身の人間の行う行為において、それを司る心身思想・操作では、世界最高の唯一無比なのです。

 ラッキーでした!


 そして今、国際沖縄空手道・無想会のパッサイの形。いわゆる、松村のパッサイ・小を会員に伝授する時において・・・。

 かつ、松村のパッサイ・大を習得する時において・・・。

 さらに、松村のパッサイ・中とも言える形の存在を知ることによって・・・。


 松村宗昆という漢は、中国渡来の軍事教練の集団徒手格闘術を、琉球化し・・・。

 そして個人の武術として、最も先鋭化することに成功したのだ。

 っと、理解できました。

 その過程こそご、松村のパッサイの大・中・小なのです。


 これは糸洲師が行った近代化のための、空手の簡易化、体操化とは全く、真逆の行いです。

 そして、これこそが・・・。

 武術として伝承された沖縄空手なのです。


 この武士松村と称された「松村宗昆」とは、日本武道史においても、最大級の天才である! っと、思うまでになっています。

 この人物の存在こそが、沖縄空手であり・・・。

 この松村こそが、上記に世界唯一無比の、空手の心身思想・操作を、確立した人物だと思っています。

 そして、私の人生を振り返ってみるに、私の再修業とは、ただ、この松村の天才に、挑んでいた。


あるいは、この松村の跡を、追いかけていただけなのだな!

 っという想いです。


 私・・・。

 浅才の身ですが、身命を賭して挑んだ心算です。


 さらに、その過程は大変ではあったけれど、非常に満ち足りたものであり、心から幸運であったな!

 っとも、思えるものです。


 あとは、伝えるだけです。

 下記のオンライン稽古会、ご参加ください。

 未会員の方は、弊会に正式ご入会ください。

 武術としての沖縄空手の心身思想・操作、形、歴史を調べ尽くし、習得しました。

 それだけのモノを、伝授出来る体系を作り上げた心算です。