武士・松村の、後ろにあるものが見える
「武士・松村」こと、松村宗昆の肩に、ようやく片足くらいが掛かっている気がすると、記しました。
するとその肩の上から、「晴れた日には水平線の彼方が見える」のです。
実は、それが地平線でも良いのですが・・・。
沖縄という場所は、周りが海に囲まれた島でしかありませんので、やはり水平線となるのでしょう。
では水平線の彼方には、ナニがあるのか?
明朝、清朝時代の中国軍の軍事教練の徒手格闘術が、見え隠れしています。
さらには、中国の近代になって清朝軍隊が西欧との軋轢によって瓦解し、その軍事教練が民間に流れ、世俗の鶴拳や、羅漢拳になって行った経過も見え隠れします。
なぉ、これらの中国の世俗拳法は、明治以後の沖縄空手が自らの形の意味を、完全に誤解・曲解しと同じように・・・。
その流会派(門)において、完全に套路(≒形)の意味を、取り間違えているはずです(文責・全て新垣清)。
例えば、 明王朝時代に主であった打撃系格闘術を、そのまま組技主体の清王朝時代の徒手格闘術の套路に当てはめてしまい、ゼンゼン用を足さないものとして伝承されてしまっています。
実は近代(明治以後)に入って、沖縄に移入された新興那覇手の大本としても良いであろう、 福建省の湖城家の道場であった蔡道場で、伝承・修行された軍事教練の世俗化した形には・・・。
形の構成として、非常に不可思議というか、「これでは戦っている相手に、自分の身体が激突してしまう!?」っという動作が、多々あります。
これも、上記の現象の一つの現れだと思っています(文責・新垣清)。
しかし、私自身は、武術として伝承された沖縄空手の心身思想・操作と形に、自らの半生を賭けたのであり、上記の中国武術(拳法?)に関しては、門外漢の立ち位置でいる心算です。
これは何時か、国際沖縄空手道・無想会の若手の空手家たちが、その過程を解いて貰いたいと思っています。その為の私が出来る限りの、資料提供や助言をするのは、吝かではありません。
あとは、自分の肩を大きく盤石にして、次の世代の真摯な空手家を担ぎ上げていくことだけです。でも、体重の重い人はダメよ!
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