松村のパッサイは、最高です

 お蔭様で・・・。

国際沖縄空手道無想会の直弟子限定オンライン稽古会が、無事に終了しました。

 関係者の皆さま、そして参加者の皆さまに、篤く御礼申し上げます。

有難うございました。


 下記が、稽古会で述べたパッサイ(八十一戦)関連の動画です。

 もう直弟子の皆さまは、ナニを、ドウ、観るべきか?

を完全に理解しているはずですが、補足の解説を少し記します。


 リュ―ファー(龍歩?)の形です。

Kata Ryufa - Diego Andaur - YouTube


 これが、八十一戦の形の、琉球・沖縄化における別バージョンのです。


パッサイ・小(グヮー)と呼ばれる形です。

Passai Guwa - Shimabukuro Zenpo - YouTube



 糸洲安恒・師の試みた、体育・体操化への変革の、最終形の形態であると私は、思っています。

 もう、沖縄でも余り見ない形です。

 すなわち、チャンナン・小(平安二段)に位置するものです。

 糸洲系統には、すでにパッサイ小と呼称されるものが存在しますので、私個人は、パッサイ・極小として理解しています。


多和田のパッサイです。

Passai Dai (Tawada Passai) - YouTube


 この人物は松村宗昆の弟子で、多和田は武器術でも非常に有名でした。

 流れでは、松村宗昆→多和田→知花朝章→知花朝信っとなるはずです。

 このパッサイは、松村が師匠(屋比久?)から学んだパッサイに、非常に近いものだったはずです。


 ただ、もう皆さまもお判りのように、最初の動作が左足後ろのクロスで、この方角に転身をしてしまうと、相手と激突してしまします。

 原型は、そのまま逆卍の片方だけの演武線を辿ったはずですので、そこまで考慮すれば、これは琉球化・沖縄化への過程での、プロトタイプであると理解できてきます。


 糸洲系統のパッサイ大は、この形を児童・生徒用に安全、安易さを求め、コブシに変え、立ち方を、容易な所謂「前屈立ち」に変えただけだと理解すれば良いです。


 なお、前足で交差なのか、後ろ足での交差なのか?の疑問は・・・、

 現在の新興那覇手(剛柔流・上地流等)のサンチンの形の、後方へ向かう際の、転身の動作(足のクロス)への、私の疑問の根拠でもあります。

 この疑問と答えは、直弟子への宿題ですので、頑張って解いてみてください。


松村のパッサイ・大です。

Passai Dai, Hohan Soken’s way. - YouTube


 このパッサイがスタンダード化されたもので、泊のパッサイなどもこの系統でしょう。

 まだまだ松村的には、「無駄な動きがある!?」

っと思ったはずです。確かに、下記するように、無駄な動きが多々あります。


 後ろを向いて繰り出す膝蹴りが省略されてしまって、意味の無い動きになってしまっていますが、同じ動作なので省略した結果なのでしょう。

 さらに形の最初の部分で、訳も分からん相手への手刀打ちなどと言われる動作が続きます。これは泊のパッサイ、あるいは親泊のパッサイと呼ばれる形では、さらに顕著です。


 これはじつは、原型の逆卍の片方(大文字のIだと思われている)だけの演武線で、正面から反転して行う、相手の首を捻って膝蹴りの名残です。

 この省略された動作を理解することで、ナニが、ドウ変わったのか?

 意味の解らない動作の部分は、元はどのような業・技であったのか? 等を、全て理解することが出来ます。


 松村宗昆の形を、完全に理解し使えるようになれば、その後方に聳える、中国清朝軍の軍事教練の徒手格闘術が見えてきます。


しかし、武術として伝承された沖縄空手は、やはり、松村に始まり、松村に終わるのです。


 その松村の最終形の示す心身思想・操作を、我が国際沖縄空手道・無想会は、全て完全に理解し、かつ伝承していく心算です。

 稽古会でも述べましたが、浅才の私の、空手修行は終了しました。あとは、伝えるだけです。


この稿、続きます。

国際沖縄空手道 無想会 International Okinawa Karate-do Muso-kai