空手は松村に始まり、松村に終わる

 今回の題は、「空手は武士・松村に始まり、武士・松村に終わる」っとありますが・・・。

 正確に記せば、武術としての沖縄空手は・・・っということでしょう。

 さらに沖縄手、首里手ということです。


 この武士・松村こと、松村宗昆が、中国清朝軍の軍事教練における徒手格闘術を、日本剣術(主に示現流)の心身思想で解体し、かつ再構築したのが、世界最高峰の心身思想・操作である、武術としての沖縄空手だからです。


 今回の直弟子限定オンライン稽古会においては、この松村の手による、空手の形の先鋭化を、形の変革の過程によって説明しました。

 形は、パッサイ(八十一戦)です。


 この形は松村の手による、武術としての鋭利化とは、全く真逆の・・・。

 糸洲安恒師の手による、体育・体操化を目指した、簡易化の道も辿っているものも、存在します。

 そのために、松村の目指す方向性が非常に著明になるために、われわれには誠に解りやすい(?)ものです。

 まぁ~、観る目があればですが・・・。

 私は、弊会の直弟子の上級者の全ては、もうそれが可能であると信じています(っと、キッパリ!)。


 前ブログでは、リュ―ファー(龍法?)

 パッサイ小(グァー)

 多和田のパッサイ

 そして

 松村のパッサイ・大

を列記しました。

 今回も、同じ手法で記して行きましょう。


 松村のパッツサイの「中」、としても良い形です。

 Passai Odo 1981 - YouTube


 この沖縄拳法を学び、後に琉球拳法と称した小渡世吉・師という人物は、この非常に貴重な松村系統(松村本人だと思いますが、証拠が無い)の、大から小に至る過程の、「中」とも呼称して良い形を、伝承させています。


 この小渡・師は、沖縄拳法の創設者である仲村茂・師の門下にありましたが、当時の空手家の常で、他にも多くの空手家に師事しています。

 これは優れた空手家においては、当たり前っというか・・・。当然であり・・・。

 これを遣らなかった、または出来なかった空手家は、空手の全貌が分からないという、暗黙の約束事のようなものが存在した時代です。


 ただ昭和二十年代末期(1955年前後)生まれの、私・新垣清が、その最後の世代になりますので、ここで後学の方々のために明記しておきます。


 なお、沖縄拳法を興した仲村茂・師は、伯父であった仲村貞一に空手の手ほどきを受けていますので、その流れに連なるものでしょう。


 ちなみに、以前に五十四歩を伝授する際の、ブログでも記しましたが・・・。

 小渡世吉(おど・せいきち)師は、松村の五十四歩の形とは、全く別系統の沖縄化・琉球化された五十四歩の形も伝承していますが これも仲村貞一からの流れだと愚考します。

 「五十四歩の形」を解く


 Kingai-ryu - Gojushiho - Odo 1981 - YouTube


 これは私は、皮膚感覚で分るのですが・・・。

 当時の近代化を免れた・・・。あるいは近代化の遅れた鄙には、古い形が残っていた時代なのです。


 この松村のパッサイ・中としても良い形と、前ブログの、松村のパッサイ・大の形の構造を、比較すれば・・・。

 国際沖縄空手道・無想会の直弟子ならば、私が稽古会、セミナーで常々述べている


「松村宗昆の戦闘原理」が、明確に見て取れるはずです。

 松村のパッサイ・小の形です。

 Hosan Soken Passai Sho.mov - YouTube


 松村正統少林流を名乗った、祖堅方範(そけん ほうはん)師のパッサイ・小です。

 左足を前で交差しているのが、明確に見て取れるものです。

 祖堅方範師の松村正統少林流においては、パッサイの小・大、共に左足前足交差です。

 Passai (matsumura seito) - YouTube


 実は、この左足前交差は、祖堅師がお年を召されており、かつ海外(アルゼンチン)に三十年余も滞在していた。

 沖縄へ帰郷なさった時には、師は形の動作を忘却してしまっており、その為に生じた間違いである! っというのが、当時の沖縄空手家の一般認識だったのです。


 これらの通説・俗説は全くの間違いであり、パッサイの元の中国軍事教練で行わていら、前方での右側への転身を・・・。

 沖縄において、現在のような前後の転身に変化させた・・・。

 いわゆる琉球化・沖縄化されたパッサイの形を使うならば、この祖堅方範師が・・・。そして、祖堅師のみが、絶対に正しいのです。これは祖堅師の名誉のために、ここに明記しておきます。


 ここまで記せば、前ブログの多和田のパッサイ(下記アドレス)は、その右側への転身が、前後の動き(のみ)の変革された時の、プロトタイプとしても良いと記しても納得されるでしょう。

 他にも左右の手刀受け(そんな技は、無いけどね・・・)が三回となってしまって、相手に激突するという欠点も改良されていません。


 または、伝承の過程で、コンガラガッテしまったのでしょう!?

 Passai Dai (Tawada Passai) - YouTube


 パッサイは、糸洲系統では大・小の呼称が、混乱している場合もあります。


 それらも含めて近代の沖縄空手界においては、誰も、武術としての空手の形を、理解して居なかった。

っという、哀しい現実でもあったのでしょう!?


 ただこの形は、「三歩は一歩」の法則によって、前方に三歩進んでおり、その為に横の正中線の概念が明確ではありません。


 弊会では、この三歩の部分を一歩で行っています。

 私自身は、徹頭徹尾に、「形は、『使う』モノである!」 っと思っていますので・・・。一歩で行いますが・・・。

 別に、三歩だろうが・・・。あるいは、五歩だろうが・・・。または、七歩であろうが・・・。奇数歩であれば、ゼンゼン問題無いと、私的には割り切っています。

 まぁ~、直弟子諸氏は、いまのところは、好きにやってください(笑。


この稿、続きます。