これが「チャンナンの形」だ!
一週間前に行われた国際沖縄空手道・無想会の直弟子限定オンライン稽古会では、本ブログで記していたパッサイの大・中・小の形の解説と、トルクを使った業・技も、伝授しました。
それと同時にチャンナンの形の全貌というか、正体もチャーンと説明しました。
この幻の形としても良いチャンナンに関しては、私はここ五年から十年にかけて、振り回され続けであったとしも良いでしょう。
私は、下記の形の一覧表でもお分かりのように、首里手系統、そして古流那覇手系統の15の形は、全て漢字表記からその意味、形のシステム的な体系等も全て解き明かしました。
この形以外にも、公総管、さらに内帆船、あるいは南方拳の由来等も知的推察である程度は、その由来を解き明かした心算です。
さらには、まだ公式には発表してはいませんが・・・。
泊手系統のヂ(撃の漢字か?)の形のヂッテ、ヂウン、ヂインの、合計七つの形の一覧表も出来ています。
さらに陳師父(チンシュ―=チンテ―)、陳套路(チントー)、ローハイ(羅漢)の形も・・・。
これに王師父(ワンシュー)、王武官(ワンカン)、王套路(ワンドー、ワンダワン)の、三つの王という武官からの形。
すなわち琉球王国時代に武術として修行されていた、
首里手、古流・那覇手、泊手の、全ての形の解明をした心算です。
しかし・・・。
チャンナンの形だけは、不明でした。
でも糸洲安恒・師が、クーシャンクー(公総管)の形を、体育・体操用に変改したクーシャンクー・小、または観空(カンクウ)・小と呼ばれる形の存在理由を理解した時に・・・。
その、全てが解けました。
そして、オンライン稽古会でその全貌を説明しました。
下記の動画が、チャンナン・大と、チャンナン・小の形です。
MatsuSoKan System Yabiku's Pinan Shodan Channan Dai - YouTube
MatsuSoKan System Yabiku's Pinan Nidan Channan Sho - YouTube
これも、松村正統少林流の、祖堅方範・師が伝承していました。
ここで祖堅・師の名誉のために、一言述べます。
私が沖縄での修行時代には、「祖堅先生のところには、平安の初段と二段しか無い!」っと、言われていました。
もうこの辺は完全にウル憶えなのですが、私の沖縄での修行当時は、上の動画の名称であるチャンナン大・小の呼称では無く・・・。
どうも平安の初段・二段と、呼んでいたのではないか!?っという気がするのですが、もう自分の記憶が定かではありません。
ナニはともあれ・・・。
平安の三段、四段、五段は祖堅師が沖縄にアルゼンチンから帰郷された後に、「他の流会派から出向いていた生徒から、学んで導入したものである。と言うことも、噂されていました。
その生徒なる人物の名前も、私は、存じ上げています。
さらに、東京に渡られて空手を普及した遠山寛賢・師の、内弟子でもあられた、私の尊敬するH・T先生から「『祖堅の手』には、泊手の影響がある」とのお言葉も、聞きました。
上記の事柄は、全て正しく、かつ間違いです。
いや、間違いというよりは、歴史的推移が理解出来ていないための、誤解・曲解なのです。
それも、全て今回のオンライン稽古会で、直弟子諸氏には説明した心算です。
先ず、チャンナンに関する疑問の答えを、単刀直入に記します。
チャンナンとは、平安初段のことです。
この平安初段は、クーシャンクーの簡素化です。相手は、自分の正面です。横には、いません!
クーシャンクーも、観空の形も、相手は自分の真正面です!
そして、その平安初段を、極端に体育・体操化を目指して簡素化したものが、平安二段です。
それは祖堅系統では、チャンナン・大、そしてチャンナン・小と、していたのでしょう。
祖堅師は、アルゼンチンに行く前に糸洲・師自身か、その系統に繋がる人物から、チャンナンの大と小としても良い流れの、二つの形を学んだのでしょう。しかし、平安は学んでは無かったのです。
さらに、祖堅系統に泊手の影響があるというのは、「ローハイ(羅漢)」の形がある。等の理由からですが・・・。
正直に記しますが、松村正統等という名称は、祖堅師がアルゼンチンから帰郷されて、当時の沖縄の空手の余りにも、体育・体操化されたことに、唖然とされた結果なのでしょう。
そして、武術としての空手・・・。「松村の空手を、自分は伝授する」ということで、上記の流会派名を名乗ったのだと愚考します。
祖堅師がアルゼンチンに発つ以前は、沖縄の空手家は、手に入る全ての形・・。
あるいは下記の空手の形から、自分の好きな形を習得しようとしたはずです。
本部朝基・師の流派に、「白熊」の形が残った事等も、上記の理由からだと愚考します。
そこには、純粋に武術的な変革を為して行った、「武士・松村」こと、松村宗昆の手による形・・・。
日本剣術の思想で中国清朝軍の軍事教練を、人類史上最高度に洗練した武術としての空手の形です。
かつ近代日本の中核に空手を導入のために、糸洲安恒師の目論見である、体育・体操化への安全・簡易にし・・・。
殺傷能力の全てを、取り去ってしまった形。空手の体育・体操化を目指した、「近代空手の父」である糸洲安恒・師の手による形も、雑然と存在していたのです。
それこそ、玉石混交の有様です。
玉石混交っと、記しましたが・・・。当時における、「玉」と「石」の違いは、一体ナニを基準としていたのでしょうか?
当時の「時代の正義」としてもよい、近代化ということに於いては、武術と呼ばれる、時代の波に乗り遅れた、古臭いものと・・・。
教育制度下での体育・体操という、時代にマッチしたもの・・・。そして現代においては、スポーツ空手となる、新しいものの違いです。
それらの混沌の時代の空手を習得した一人が、若い時分の、祖堅方範・師だったのです。 それが「祖堅の手」にある、ローハイ(羅漢)の形であり、かつチャンナンの形なのです。
ですから・・・。
全てが正しく、かつ、全てが誤解・曲解の産物だったのです。
そこに、私・新垣清の、驚愕と、失望があったとしても良いでしょう。
しかし、今・・・。
全てを、解き明かしました!
いま、松村宗昆の肩の上に立つことで、全てが見えたという想いです。
もう、空手の修行で、私個人として残っているものはありません。
でも、ナゼか、次なる山脈が見えてきている気配も、あります。
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