本質を知る
私は、自らの修行の結果から得た結論として・・・。
我々凡人は、現象を知る。
しかし・・・。
一流は、法則を知る。
そして・・・。
天才は、本質を知る。
っと思っています。
身体文化の中には、稀に運動の天才と呼ばれる人間が居まして・・・。
このような人物は、知らずに出来る。
のだと、思っています。
すなわち、自然(?)にやったことが、本質を突いているということです。
武士・松村こと、松村宗昆は、中国の清朝軍隊の軍事教練における徒手格闘術を、大和の心身文化である日本剣術と解体し、心身思想の法則である武術としての空手の形を、再構築することが出来ました。
一流の人間ですから、法則を完全に理解していたのです。
さらには、この人間は、武の七徳を記して、かつ三つの武の修行の有様を記せるほどに、社会、国家における武の本質を理解していました。
まぁ~、天才ですから、当たり前のことかもしれませんが・・・!?
「近代空手の父」である糸洲安恒・師は、沖縄の固有の武術である空手を媒介として、沖縄の文化、社会を日本社会に導入するという試みを行い、その結果・・・。
空手競技が、オリンピックに参加するという快挙を成し遂げました。
心身文化の在り方と、社会の仕組みという人間の営みの本質を理解していたからこそ、出来た快挙であると思っています。
武の現象とは戦い・闘いです。
そして兵法とは、戦い・闘いに勝つための法則です。
しかし、才能と努力の限界までの修行をすれば、人が何故、闘うのかという本質まで掘り下げて、己なりの結論を得ることができるはずです。
それが、兵法が、平法にまで至る道だと、確信しています。
しかし、誠にタイヘンな事なのですが・・・。
それには、やはり生きる、死ぬレベルまでの修行が、最低条件だと思っています。
すなわち「真」とは、生死の狭間にしか無いのです。
それを、己の心身で知ることが出来た。っというだけでも、自分は修行をやって良かったとは、思っています。
今、首里手・古流那覇手・泊手の全てを解明できたことで、次にナニを為すべきか? っという、自分の身の丈以上の事柄に直面しています。
東洋の心身文化・操作の最高峰にある、武術として伝承された沖縄空手を再興して、限界を迎えている、世界文明の中核にある西洋の心身文化と激突させ・・・。
ここに人類の新しい心身文化を、生み出すっというのが、私の当初からの目標ですが・・・。
これを、如何にして現実社会で実現していくのか?
その方法・手段を確立しつつ、実行に移していく所存です。
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