「気」という名の「プラシーボ効果」
我が国際沖縄空手道・無想会には、「気」を使う業・技はありません。
さらに、「気」の技術論もありません。
なぜか?
武道・武術としては、いわゆる「気」は使え無いからです。
「気」とは呼吸と同じで、純粋な武術としての、「呼吸法」なるものは存在しません。
なぜか?
呼吸などという自然な行為を、人工的に為そうとすること自体が、無駄なことであり、その無駄は「隙(すき)」っというモノに繋がり、自分の身の破滅を招いてしまうからです。
極論すれば、武道・武術とは、相手と呼吸を合わせては、為らないのです。
それでは、社交ダンスや、ワルツを、闘う相手と行うことになってしまいます。
まぁ~、ブッチャケテ言いますが、私などは正直、無骨で厳つい男性などを相手に闘うよりは、嫋やかな美女の手を取って、社交ダンスや、ワルツを舞いたいのですが・・・。
ただ、これは、相手側の女性の意向もありますので・・・。
私の一生とは、適わぬ夢で終わる生涯なのでしょう(←哀れ!。
この武術において、「気」なるものの正体は、科学的に解明すれば・・・。
重力の存在に対する認知と、それの巧妙な操作です。
自分だけにそれを当てはめれば、身体の操作、すなわち業・技の速さ・早さ、そして重さに使えます。
所詮、武道・武術の業・技は、この二者で相手を上回ってしまえば、常勝です。
さらに五感を研ぎ澄まして、自分の周りの環境の変化を、的確に読む技術です。
これが、上達すれば、現在の状態の変化から、未来を的確に予言することも可能でしょう。
次に、相手へ「気」を使う場合です。
これは相手のボディ―ランゲージ、すなわち身体言語を理解することです。
それも、相手が、自分自身で気づいて居ない身体言語です。
すなわち、目の動き、身体の傾きなどであり、それを読む技術・才能です。
ですから、これの身体の傾きや不必要な目の動きなどは、武道では「悪癖」として、固く戒められています。
これも、自分の五感の鋭さに依存する技術でしょう。
「気」とは、ブッチャケて言えば、これだけです!
他に、頭の弱い人間や、心の弱い人間の脳の判断を混乱させる、いわゆる薬学や医学で言われる「プラシーボ効果」
すなわち「偽薬効果」を生じらせる方法です。
薬学でも、医学でも、権威のある人間から、「この薬は、効きます!」っといわれれば・・・。
偽薬でも、投薬された人間の一部には効きます。
実際に、効くのです!
これを、武道・武術で応用してしまえば、「気」となります。
ただこの際には、頭の弱い(悪いでは無い)。そして/あるいは、気の弱い人間の存在が必要になります。
かつ、自分の権威を高めるための、事前の操作が必要です。
その為に、実際の闘いにおいて「気」を使うには、命を捨てる覚悟で自分を襲ってくる相手が、上記の頭の弱い、かつ心の弱り人間であることを願う以外にありません。
または、自分の(偽の)権威を高めるための時間が、必要です。
ただ、端的に言ってしまえば・・・。
こんな時間が掛かり、面倒で、効果の薄い方法に頼っていた武人は、時代の流れの中で、絶対に淘汰されたはずですし・・・。
現代社会においても、社会の中核を占めるなどということは、到底不可能です。
さらに気の技術の特徴としてとは、権威ある相手から、技を出された人間側。すなわち被施術者は、自分の頭が弱い、さらに心が弱いために、効果があります。
すなわち、受動体・受動態としての場合は、OKなのです。
その為に技術体系として、その受動態の状態に貶めるための、集団催眠などの体系立ったものは存在します。
しかし、その逆に・・・。
いざ、その「気」なる技術を、被施術者、または受動体・受動態に成る方法しか学んでいない自分が・・・。
施術者として、そして能動態・能動体となって、相手に為そうとすると・・・。
駄目です!
だって、気の技術が掛かる人間は、大体が頭も、心も弱い人間です。
このような人間が、権威者に成れる訳がありません。
でも気の技術は、権威を利用した「偽薬効果」。すなわち、「偽業・偽技効果」以外に方法はありませんから・・・。
ゼンゼン、相手に効きません。
これって・・・、
長大なる、多大なる、人生の浪費です!
まぁ~、人の人生は、人それぞれですので・・・。
これらの事柄は、私の関知することでは無いというのは、重々承知しています。
でも、私の修行において「武士・松村」こと、松村宗昆の肩の上から見える、次なる山脈とは・・・。
この、兵法における心法の部分なのです。
その為に、この「心法」と紛らわしい、「気」なるものの認識を一応、私なり、弊会なりに、明記しておきます。
この稿続きます。
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