ナイファンチ実像・伝承過程の序章

 来る4月24日(土曜日)に行われる、国際沖縄空手道・無想会の直弟子限定、極意直伝・オンライン稽古会で一コマ目はトルクと、ニコマ目は「ナイファンチの形」の伝授を予定していますが・・・。


 もう、二コマの二時間ではとても説明しきれないので、このブログで、ナイファンチの全容を一応説明できるまで、説明します。

 もう後、十年指導・伝承続けても、時間が足りない!

 説明が足らない部分や、ご質問があれば、オンライン稽古会で説明、お答えしますので、以下ご了承のほどをお願いします。


 ナイファンチの事柄を出来るだけ本ブログで、説明する前の整理として、他の形が如何にして体育・体操化されて武術性を失って行ったのかを、一通り説明します。


 すると、なぜ弊会が武術として伝承された沖縄空手の形を追及し、伝承しようとしているのかが、如実に理解できると思うからです。


 弊会が指導している、松村の八十一戦(パッサイ)は、いわゆる、清朝軍・漢人部隊で軍事教練として行われ・・・。

 1803~4年頃に、唐手・佐久川が琉球王国時代の沖縄に移入したであろう、


中国原型の軍事教練の八十一戦

琉球王国時代の、沖縄武士が改変した八十一戦

松村宗昆が学び、初期に伝授した八十一戦・大

松村変革の途中の八十一戦・中

松村が伝授した八十一戦・小


 の流れのうちの、完成形としてのパッサイ(八十一戦)・小になります。

 ただ、弊会では単に、パッサイ(八十一戦)の形と呼んでいます。


 なお、上記の八十一戦(パッサイ)・中としてるいものは、沖縄拳法を学び、後に琉球拳法と称した小渡世吉・師が、その創始者である仲村茂師が、伯父の仲村貞一から学んであろう形を、伝授されたものと思われます。

 詳細は、拙ブログの空手は松村に始まり、松村に終わる を参照なされてください。動画へのリンクもありますので、ご興味があればご自分で比較・検討なされてください。

 注:因みに、パッサイの大は大部分の流会派のそれに近いものですが、糸洲のパッサイ・大ではありません。


 なぜなら、それは体育・体操化のために閉手(いわゆる「拳・コブシ」)に変革され、かつ児童・学生に遣り易いように、前屈立ちに変革。

 さらに、殺傷能力の高い膝蹴りの大部分が、猫足立ちになっており、他の糸洲・師の変革した形と同様に、武術的にまるで意味を成さないからです。


 今、私が、完全に解き明かしたものの、弊会で伝授に値するのか?

 どうか?

 と悩んでいる、チャンナン(江南)の形は、


公総管(クーシャンクー)の原型

四方クーシャンクー

首里の武士が変革したクーシャンクー

(これが、北谷屋良、松村のクーシャンク―、または観空の原型)

松村のクーシャンク―(公総管)

その一部が、平安初段(松濤館、極真会館系統の二段)

これが、チャンナン・大

さらに体育・体操化したのが、平安二段(松濤館、極真会館系統の初段)

これが、チャンナン・小

体育・体操化の極致、太極の形


等となります。


 ナンのことは、無い。

 幻の形と思われていた、チャンナンの形なるものは、平安初段と二段だった!

 のです。


 因みにチャンナン・小には、受けと呼ばれる動作(本来は、ゼンゼン受けじゃ無い!=受け技なんて、空手の形には無い!)のバリエーションがある可能性もありますが・・・。

 それらは、ただのバリエーション、すなわち現象の応用であって、武術的にはナンの価値も、意味も無いものだと愚考します(文責・新垣)。


 でも、この平安や太極への一連の流れって、クーシャンクーの、小学生用バージョンを、目指しているんじゃないの・・・!

 っと、誰だって思いますでしょう!?

 まぁ~、もともとが現代の空手の形の大部分が、学童・学生用の体育・体操のために変革されたのですから、当たり前と言えば、当たり前ですが・・・。


 しかし、それを武術として伝承された沖縄空手の再興っというものを、言うなれば大上段にして謳っている弊会で、指導・伝授するのに価値があるのか? どうか? いま私は思案中です。


 誠に・・・、困った・・・、どうしよう?!😕

 の状態です。


 さらに、彼の屋部憲通・師が「平安をやるぐらいなら、クーシャンクーの形をやれ!」

 っという言葉が、痛いほど耳に響くと同時に・・・。

 近代化に合わせて、どれほど糸洲安恒・師が空手の形を切り刻んだのかが、痛切に身に染みるのです。しかし、近代化とは・・・。そして負けるということは・・・。

 惨いものです!


 なお、首里の武士が変革⇒糸洲・師がさらに変革した、「クーシャンクー・小」、または「観空・小」という、プロト・タイプとしても良い形も存在します。


 さらにパッサイにも、体育・体操化の極致・・・。

 すなわちクーシャンクーの一部が、太極という形に最終的には、なってしまったと同様な、「パッサイ・小(グゥワーと、呼称か)」が存在します。


 実は、これらの形は私が修行当時の沖縄でも、あまり見かけないものでした・・・。

 あまりにも体育・体操化されすぎて、やはり当時の空手の練習者たちも、違和感を覚えていたのかもしれないなぁ~と、今になって感じています。

 まぁ~、実状はどうであったのかは、今となっては、分かりませんが・・・。


 一応、ここまでで弊会の伝授する、チャンナン・平安の形と、八十一戦(パッサイ)の形の、実像と伝承の過程が理解できたと思いますので・・・。


 次のブログでは、ナイファンチの形に戻って、その実像と、伝承の過程を記していきます。

国際沖縄空手道 無想会 International Okinawa Karate-do Muso-kai