祖堅師の左足

 もう、何度も記していますが・・・。

 松村正統流を名乗る、祖堅方範(そけい ほうはん)師のパッサイ・小の形では、最初に前方へ向かう動きで左足前で交差します。


 もう、現代では知らない人が全部っと言ってよいほどですが・・・。

 これは当時から、「祖堅先生は、お歳で、形を忘れてしまっていたからだ!」

 と言われていました。後学の方々のために、一応ここで記しておきます。

 当時の私自身が、これらのことを直接聞いて、注意されており・・・。

 そのためもあって、直弟子たちにも伝えてあります。


 ですから、祖堅師のお弟子さんの中にも、それを変えてしまって左足を後方で交差させる動作にしてしまった方々も存在します。これって・・・、

 完全な改悪です!

 まぁ~、ダーレもナンにも分かっていなかったのですから、無理もありませんが・・・!


 ただ左足を後ろで交差している、他の全ての流会派のために弁護しますが・・・。

 この動作は、一概には悪いのでは無く・・・。

 現在の全てのパッサイ(八十一戦)の形の構造である、前進して足を交差した後で、その後に開始点側に戻っていくやり方だ、と完全な間違いになるだけです。


 これが原型である、中国清朝軍の漢人部隊の軍事教練の、徒手格闘術の套路

 ならば・・・。


 逆卍の片方だけ、すなわち大文字のSの字を平たくしたカタチで、構成されていたはずで・・・。  

 ならば、左足を後方で交差して、逆卍の前方(上の横線)の線上で、開始点(下の横線)側を向いて技を出すために、この左足が後方で交差する動作が正しいのです。


 すなわち、他の形同様に、中国套路原型⇒沖縄武士による変革⇒武士松村による変革⇒武士松村による深遠化 の異なる段階で、誤解や曲解が起きると同時に・・・。

 変革した後のものと、変革前の動作が残るっという、ゴッチャになったしまった好例です。


 さらには、空手の近代化のための糸洲安恒師による簡易化が加わってしまい、もうシッチャカ!・メッチャカ!になっているのは、皆さまがご承知の事実でしょう。

 このパッサイ(八十一戦)の形における足の交差の問題は、私・新垣清が再修業後の、更なる修行・研究で完全に解きました。


 でも・・・。

 この祖堅方範先生は、松村のクーシャンク―でも、左足前で交差させているのです。


 これ、怖いです!

国際沖縄空手道 無想会 International Okinawa Karate-do Muso-kai