空手の形に、コンテキストは絶対ある!
「武士・松村」こと、松村宗昆の創作した可能性が非常に高い(ほぼ確定でしょう)、
祖堅方範師の伝承する、「パッサイ(八十一戦)・小」の形の完全解明が終わった瞬間に、
一瞬、「ボーッ!」としました。
なぜなら・・・、
「やはり、コンテキストは存在したのだ!」と分かり、
「松村はコンテキストの存在を、明確に理解して形を修行していたのだ」、
そして「松村はパッサイ(八十一戦)の形を、コンテキストに沿って改変して、より鋭利なパッサイ(八十一戦)の形を創作して、それがパッサイ(八十一戦)の『小』と呼ばれる、この形なのだ!」
っという様々な想いがな、頭の中を駆け巡ったからです。
じつは、わたくし新垣清と、その主宰する国際沖縄空手道無想会は、「武術としての沖縄空手の形には、『コンテキスト』、すなわち『文脈』としても良いものが明確に存在する!」っと主張する、世界で唯一の、空手家個人、そして空手組織です。
なぜなら、わたくしの再修業における「ナイファンチ(内帆船・南方拳)」の形の完全解明において、コンテキストの存在が明らかになったからです。
それはチャンナン(江南≒平安初段ーご段)。ワンシュー(王師父)、ワンドウ・ワンダウン(王套路)、ワンカン(王武官)の三つの形。さらに「松茂良のローハイ(羅漢)」の形でもさらに明確になりました。
しかし、それらの形は、もともとの中国拳法の套路の際にはコンテイストは存在していたが、実は琉球王国時代の沖縄の武士たちが、そのコンテキストの存在を明確に理解して、修行していたのか? っとなると、少しの疑問はあったのです。
すなわち沖縄の武士たちは、珍しい唐物(トウモノ)だからと珍重するだけで、「鰯の頭も信心から」と、意味も分からずに有難がって空手の形を修行(?)していただけではないか?
それならば・・・。意味も分からずに空手の形を修行している、われわれ現代の空手家とナンら違いはないではないか? っとの疑問を、完全には払拭することが出来なかったのです。
しかし、やはり「武術として伝承された沖縄空手」の形には、明確な「コンテキスト」が存在し、琉球王国時代の沖縄武士たちは、そのコンテキストに沿って空手の形を修行していたのです。
コンテキストの存在しない空手の形は、武術としての空手の形ではありません!
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