日本武道としての空手の再生
「武士・松村」こと松村宗昆(マツムラ・ソウコン)の伝承した
祖堅方範師系列の「クーシャンクー(公総監)」、「パッサイ(八十一戦)大・小」、「ナイファンチ(内帆船・南方拳)」。
さらに糸洲安恒師の手によって、五つの形に分割された「チャンナン(江南)」=新垣清再構築。
それらはすべて、「先(セン)の先(セン)」の日本武道(主に剣術)の心身思想で貫かれています。
その心身操作も「袴腰」、あるいはナイファンチ立ちと呼ばれる立ち方で、二本足直立歩行をする人間が、地球上に存在する「重力」の存在の認知と活用を、最大限に利用します。
さらに「正中線」、「演武線」の存在認識とその活用も最大限に利用します。
中国王朝の明・清朝の軍事教練の徒手格闘術の単独套路(≒空手の形)が、沖縄に移入されることで、上記の日本剣術の心身思想・操作によって改変されて、完全な「日本武道である、武術としての沖縄空手」となったのです。
または、「日本武道としての空手」っとしても良いでしょう。
そしてこの松村が「パッサイ(八十一戦)」の形を、彼が学んだ形(いわゆる「大」)から、自らの手で「小」を創作する過程で、形の中にあるコンテキスト(文脈)を完全に理解して活用しているのが、手に取るように伺えます。
ここで明確にしますが・・・。琉球王国時代の沖縄武士たちは自らが修行していた形には、「コンテキスト(文脈)」が明確に存在しているのを熟知しており、それを修行の糧としていたのです。
そこには形の存在目的、存在理由が明確にあり、それを最も効率的に行える心身操作も付属していたのです。
ここに松村宗昆は、「日本武道である、武術としての沖縄空手」を誕生させることになるのです。
すなわち、「日本武道としての空手」なのです。
そして国際沖縄空手道・無想会は、上記の武術としての沖縄空手の形の再生を成し得たことで、「『日本武道としての空手』の再生」を果たし得たことを、非常に誇りに思うと同時に、それを伝承させなければならない責任の重さを痛感します。
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