サンチンの形における転身の意味

 武術として伝承された沖縄空手のすべての形には、「コンテキスト(文脈)」が存在します。

 これは現在言われている首里手、泊手、古流那覇手の別を、問いません。

 このコンテイストが存在しない形とは、近代になって創作された形です。

 例え一子相伝を謳っていても、その流会派で伝承された形にコンテキストの存在や痕跡が皆無なために・・・、

 これらの形は、近代になって創作されたものであるのだ! っと断言できるのです(そして、流会派もです・・・)。

 ここで挙げるサンチン(三戦)の形にも、コンテキスト(文脈)が、明確に存在します。

 その根拠とはサンチン(三戦)で三歩前に進んで、右足前・右腕がいわゆる中段受けの恰好になります。

 その後に、左腕がおもむろに前にある右腕の肘の下に、九十度近くの角度に曲げられて出されます。

 その後、あるいはその途中において前方の右足が左横に一歩入って、反転します。

巷あるどの流会派のサンチンでもよろしいですから、動画をご覧になってください。

 この反転時に、果たして・・・、相手が存在するのか? 否か? の答えを見つけ出すことができます。

 そして努責作用を使わず、身体を無暗に固めず、かつ開手の武術として伝承されたはずのサンチン(三戦)ならば・・・、

 これは掴んだ相手の顎下に左手を差し伸べて、身体を転身させるエネルギー(トルクの一種としても良いでしょう)で、相手の首を掻っ切る動作である! っというのが明確に観て取れます。

 そして最後の輪受け、回し受けなどと呼ばれる動作で、相手の首を再び引き込みながら、捩じり切って前方へ押し出すという動作も、明確にコンテキストをなぞっています。

 ちなみに、空手の形には受け技は存在しません。現在「受け」と思われている動作は、すべて攻撃技です。これなども、コンテキスト(文脈)の存在を知れば明確になります。

 余談ですが、この8月に沖縄の国際大会に選手を派遣すると同時にする、わたくしも監督として会場にいました。

 その時の感想は、複雑なものがありましたが・・・、技術面においてビックリした、あるいは残念に思ったことは、転身の概念と操作がまるでなかったことです。

 ただの仮面ライダーの殺陣のように、四方八方から掛かってくる別の相手との対峙。

 すなわち、「ここで、場面変わって・・・」と、書割ようなものとしか、転身が捉えられていませんでした。

 そのせいで転身の際の身体操作が、体育・体操の身体操作にしかなっていないかったのです。

 沖縄においても、武術としての空手は死滅しているのだ! っとわたくしが如実に知らされた場面でした。

国際沖縄空手道 無想会 International Okinawa Karate-do Muso-kai