松村の手の経歴
いま弊会主催の日本セミナーの途中で、手元に拙著「沖縄空手道の歴史」が無いので、ややアヤフヤなのですが・・・。
琉球王国時代の沖縄には、「武士・松村」こと、松村宗昆と双璧を謳われた剣の達人に、外間という人物が存在します。
わたくしは上記の拙著で、出来る限りの史料、資料の結果として・・・、
この外間なる人物は、松村宗昆の高弟の一人であり、かつ幕末の琉球王国で大きな政変である「牧志・恩河事件」で非業の死を遂げた、語学の天才である板良敷朝忠(または牧志朝忠とも)っと親族の可能性が高いと記しました。
幸いなことに、わたくしの感はドンピシャと当たっていたようです。
明日の東京セミナーが終わって、沖縄セミナーで沖縄へ向かいますが・・・、
拙著をお読みになった方の導きで、その外間、桑江、牧志、大湾などの姓のある玉川門中(一族)の系図委員会の方々と、お会いすることとなりました。
さらにいま唐手・佐久川の五名の弟子、すなわち宇久田、松元、知念思加那、宜野湾殿内、そして武村の事柄と、松村宗昆の師匠について、考察を深めてその証拠・エビデンス固めをし始めています。
松村宗昆は、沖縄空手、首里手、沖縄手の始祖です。
しかし、彼が中国拳法を沖縄空手に変えたのでは無いのです。
それ以前に、すでに唐手・佐久川の移入した15の形の大部分は、沖縄の武士たちの手によって変革されています。
その過程を明らかにすることが、沖縄空手の中国伝来の経過を明確にできることだと、確信しています。
それらはすべて、わたくしのパッサイの修行から、糸口をつかむことが可能になりました。
まさに、「パッサイ(八十一・戦)」の形に感謝です。
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