空手とは、中国拳法とは異なるものです。
どうにか、こうにか、下記のように首里手、古流・那覇手、そして新興・那覇手の形の一覧表も、出来ました。
そして厳しくて、怖い、南風センセイの「ナイス!」も頂き(それも連続二回!)ました。泊手などの一覧表も出来ていますが・・・、これもオイオイ発表します。
首里手、古流・那覇手、新興・那覇手などと記していますが・・・。本来はわたくしが前から申し上げているように、「ミーンナ、一緒!」なんですよ。
もともとは、中国清朝の漢人部隊である、緑営の軍事教練です。
その緑営が、福建省にあった琉球館の護衛にあたっていました。
その護衛兵を、把門(アーナンと発音)と言います。
そのアーナンの指導者から、沖縄の武士(この場合は、「唐手・佐久川」だと思います)が、チャンと15の全体系を学んで沖縄に移入します。
でも・・・、誠に、驚愕すべきことですが・・・。
首里の武士たちは、
この15の体系立って存在する軍事教練の形を、
余り歓迎しませんでした。
スゴイです!
なぜかって?
「こんなモノより、われわれがやっている、日本剣術の方が、ズーッと優れている!?」っと、思ったからです!
言ってみれば、15の形とは軍事教練、すなわち清朝漢人部隊(緑営)の、「兵隊さんたち」の
集団での徒手格闘術の教練
です。
それと比較してみると、当時の琉球王国の首里の武士たちの習得したものは、武術としての剣術(含・柔術)です。
日本剣術、日本刀の精巧さは、世界史上においても至高のものです。
ですから、両者の心身思想・操作の深浅さには、雲泥の差があります。
それは、「兵隊さん」と「戦士」の差ほどの違いです。
首里の人間たちは、「戦士」であり、「武士」なのです。
これは、
決定的な違いです!
ですから、15の形の一覧表をヨーク見てください。15の形一覧表
首里の武士たちが、採用した形、いわゆる首里手の形は、表の12番目の形である、「パッサイ(八十一)の形」だけでしか無いのです。
それも非常に首里化、日本化(日本剣術の思想での変革・改良)してしまって、原型をとどめていません(ただコンテクストが理解できれば、原型を想像することは可能です)。
「イヤ! 首里手には、首里・サンチン(三戦)、セイサン(十三)、ウーセイシ(五十四)の三つがある。または過去には、有ったので・・・、合計、四個の形じゃないか?!」
っと、言われる方もおられるでしょうが・・・?
それでも、十五の形の内の、合計たったの四個だけです(これに関しても、何時か記します)。
このように、首里手、沖縄手、そして本来の空手とは、本来の中国清朝軍の軍事教練、すなわち中国拳法とは、まったくと言って良いほどに異なるものなのです。
注・来年5月、6月開催予定の、「日本縦断セミナー」の公式HPが開設されました。
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