泊手の形に関して
首里手、古流・那覇手、そして新興・那覇手の元となった、「唐手・佐久川」が移入したであろう・・・、
福建省にあった琉球館の護衛を務めていた、中国清朝軍隊の漢人部隊である「緑営」の護衛をしていた、護衛兵・いわゆる把門(アーナン)や、護衛官・いわゆる把門官(アーナンクー)の行っていた軍事教練のすべて、すなわち15の形の一覧表を提示しました。
いま、泊手の一覧表も提示する予定でしたが・・・。
じつはわたくし個人の感覚として、失伝していたと思われていた、泊手の三つの形が「もしかすると?」存在する可能性が出てきました。
わたくしは、1800年初頭の冊封使の護衛として来琉した、中国武官の「王(ワン)」師の伝えたであろう・・・、
王武官(ワンカン)、王師父(ワンシュウー)の形を解明すると同時に、もう一つ・・・、
沖縄では失伝していたと思われていた、王套路(ワンドー、ワンダウン)の形を発見する幸運にも見舞われました。
これで王武官が伝えたであろう、三つの形の全てを解明することが可能になりました。
今回も泊手において、三つの形の失伝があるはずなので・・・、「完全にすべてを揃えて、一つの形の体系を一覧にすることは不可能であろう!?」 っと思っていたモノが存在している可能性があり・・・。
完璧に、一覧表として提示できる可能性が出てきました。
ここで、読者にお願いです。
糸東流の創始者である摩文仁賢和先生が創作したと言われる「明星」、「青柳」、そして「十六」の形で、その創作時の逸話などを御知りの方は、もし宜しければ情報をいただけませんでしょうか?
一応はわたくしなりに調べた心算ですが・・・、どんな情報でも結構です。
本ブログか、わたくしのメール、 musokai.karate@gmail.com でお願いします。
宜しくお願いします。
注・来年5月、6月開催予定の、「日本縦断セミナー」の公式HPが開設されました。
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