「思想」と、「信念」っと、「志」
前ブログで記した、田中久重の「万年時計」の解明を描いた動画の中に、技術と思想の事に関して、一人の技術者が意見を述べておられました。
それはハイデッガーの言う、「いかなる技術も、その先駆けとしての思想を持つ」っと、同様なコメントでした。
田中久重は、のちに東芝の前身となる「田中製作所」を、明治になって設立しますが、それ以前の幕末期には蒸気機関車を制作し、さらに蒸気船も海に浮かべています。
大したものです。
なぜ、彼はそれが出来たのか?
当然ながら頭が良かったし、手先も器用だったのでしょう。
しかし、最も肝心なことは、彼は物事、すなわち神羅万象の原理・原則を探求し、それを掴むことが出来たからだと思っています。
それが、ハイデッカーの言う「思想」なのでしょう。
そして、これはわたくし自身の空手の修行(練習・研究)から生まれ出てきた、実感として言いますが・・(まあ、笑って下さい。書いてる本人が、大笑いしていますから・・)。
「思想が、信念を作り」、「信念が、志を生む」っと思っています。
田中久重のいた幕末期の日本、そして琉球王国の武士たちの時代とは、動乱期です。下手をすれば、国が滅びます。すなわち「思想」から生まれた、確固たる信念を持たなければ、国が成り立っていかない状態だったのです。
「武士・松村」こと、松村宗昆には琉球王国内の政変である「牧志・恩河事件」で、自決(?)した牧志朝忠を高弟として持っています。さらに松村自身も、この政乱に巻き込まれて、一時取り調べも受けています。
ですから幕末期の志士、そして琉球王国の武士たちの心の中にあったのは、この「志」であり、「信念」であり、かつ「思想」だったのでしょう。
昨年末の道場会議で、初めてわたくしは、わたくし個人の空手・空手指導の理念というものを、開陳しました。
以前は「あんた如きの、チャランポランな人間に高尚な事を言われても・・・。誰も、聞く耳を持ちません!」っと言われるが怖くて・・・。かつ自分自身でも「お前、何様だと思っているの?!」っと、思っているのですが・・・。
でも「俺の空手の指導目標は、本当は・・・、優秀な行政官を作ることなのだ!」っと言って、10分ほど喋りました。みんな黙って、下を向いて聞いていました。
みんな、「シーン!」っとしています。
「シマッタ! 座を白けさせてしまった」っと思いました。だから、しゃべり終わった後で、「ゴメン!」っと一言。
すると、黒帯の一人が「シハン、その様なことを我々は知りたかったのです」と、わたくしの顔を直視して言い切りました。日頃は、おとなしい彼なのですが・・・。さらに驚くべきことに、みんな頷いたのですよ。
武道が、格闘技や興行も現在では良いけど・・・。武道って、本来は武士の嗜みであり、武士の武芸だったのです。
では、武士とは何か? それは戦時では戦士であると同時に、平時においては、行政官なのです。
それは兵隊さんや、政府の役人などという狭い意味では無く、社会という、「公」というものへ奉仕する人間だということです。
それはどんな職種でも、どんな地位にいる人間でも同じです。
以上のことは、確かに、耳障りの良い(だけの)大義名分であるいかもしれません。しかし「大義」とは、人間の根本として重要ですし・・・、かつ「名分」が無ければ人は戦えません。それは「思想」から「信念」へ、そして「信念」から「志」が生まれ出てくるのと同じです。
嬉しいことに・・・。ようやく、国際沖縄空手道・無想会の世界総本部道場の弟子たちにも、その思いがチョッとだけだけど伝わり始めたようです。
まあ、言い出しっぺのわたくしは相変わらず、チャランポランなので困りますが・・・。
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