四つ目の「十三歩の形」
新年を迎えていろいろとあって、このブログも「三つの「セイサン(十三)の形」 」の形から、「空手・佐久川」の移入した15の形の説明が中断してしまっています。
じつは、その後にやや進展がありまして・・・。
この15の形の一覧表にも少し変更っと言うか・・・、お蔭さまで、もっと詳細を詰めていくことができました。
その事柄に関して記すと、グダグダとなってしまうので・・・。この件に関して、一覧表を制作して発表します。
ただ私見ですが・・・、一覧表にして見ると、本当にきれいで、美しいです。
「これは、本当に体系立った軍事教練であったのだなぁ~!」 っと、いう感想をどなたも持つと思っています。
さて三つの「セイサン(十三)の形」っと記しましたが、もう一つ、「猫・新垣」こと新垣世璋が、セイサン(十三歩)の形を中国から移入した可能性があります。
あるいは師匠であった、外間親雲上(屋部親雲上)から学んだ可能性があります。
ともかく、時間軸で考察した場合に、明治以前に仮名表記では無く、「漢字表記」の「十三歩」が存在しているので、これは「唐手・佐久川」以後にも十三歩が移入されたのでしょう(これに関しては、まとめて本を出版する時に記します)。
じつは沖縄同好会の代表氏に、以前「セイサンの形は『十三戦』っという漢字表記、すなわち十三の後に戦の漢字が入るのではないか?」っということを述べたことがありますが、それはわたくしの間違いです。
ここで、お詫びして、訂正します。
以下、文責を新垣清として明確にして、セイサンの形に関しての結論を記しますが・・・。
セイサンの形は、漢字表記で「十三歩」と書かれる形です。
それは「唐手・佐久川」の移入した15の形で、3番目の形です。さらにこのセイサンには、「対」になる形はありません(アッツ! この「対」の意味も、何時か説明します=いま余りにも、書くこと多すぎて、ゴチャ・ゴチャになってしまうんですよねぇ~)。
とも角、書き飛ばしていきますので、ご了承のほどをお願いします。
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