二十七戦の形って、ナニ?
さて、「唐手・佐久川」が移入したであろう、中国清朝漢人部隊(緑営)の軍事教練の15の形の一つであった、「ニセーシ」、あるいは「二十四歩(にじゅうしほ)」の形の説明が終わりました。
つぎは9x3=27っとなる「ニセーチ」、「にせいち」、あるいは「二十七戦(にじゅうななせん)」となる形の説明です。
しかしここで、読者は、
「ンッ・・・????」
っとなるはずです。
なぜなら、空手の形には「ニセーシ」や「二十四歩」の形はあっても、上記の「ニセーチ」などと呼称される形は存在しないからです。
ナゼでしょうか?
「アラカキは、沖縄の武道家は琉球王国時代に伝承された空手の形を、すべて伝承させたのだ!」っとっ、言っている。
しかし・・・、「それは、誤りではないか!」
っと思われるでしょう。
当然です!
だって、わたくし自身がこの15の形の体系思想を理解した時に、
「嗚呼~っ! 残念。やはり失伝、欠落はあったのだ!?」っと、思っていたのですから・・・。
でも・・・、「ジャ・ジャ・ジャ・ジャ~ン!」と、ベートーヴェンの第五交響曲のテーマ(?)、「運命はかくの如く、扉を叩く」っと同じように、
残っているのですよ!!
それも、われわれの目の前に!
それが、「猫・新垣」こと新垣世璋が伝承した、「ウンス―」、あるいは「雲手」と記される形です。
この稿、続きます。
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