「ウンス―」、「雲手」の形の動作

 「ウンス―」、「雲手」と現在は呼称されている、

 「唐手・佐久川」が移入した可能性が大きい、清朝漢人部隊「緑営」の15の軍事教練の形の一つで、6番目にあたる「二十七戦」、「ニセーチチン」、「にせいちちん」の事を記していますが・・・、

 前回までのブログで、その呼称の遍歴はお判りになったかと思います。

 本ブログでは、この形の機能的な面に関して少し記します。

 なお現存する形であり、各流会派によって形の様式が異なり、その内容の解釈も近代化の波をうけての体育化、体操化を果たしてしまったために、他の空手の形と同様に、武術的には意味を為さない動作が大部分だと愚考します(文責・新垣)。

 さらにわたくしは、これらの流会派に所属せず、門外漢の身です。

 そのために、「なぜ、そのような解釈をするのか?」、あるいは「お前如きに、解釈する権利があるのか?」っというような疑問も、当然のごとく存在するはずです。

 正直に記しますが・・・。わたくし個人も、そしてわたくしの主宰する、国際沖縄空手道・無想会の活動におきましても、現在のところ、この「ウンス―」、「雲手」、「二十七歩」、「ニセーチチン」、「にせいちちん」なる形には、何の関連もありません。

 しかし、弊会は琉球王国時代に「武術として伝承された沖縄空手の再興」を、謳い上げている団体です。

 ならば・・・、「唐手・佐久川」が1804年前後に移入した可能性が高く。かつ、その50年ほど後に「猫・新垣」こと新垣世璋が移入したことが確かな、この形を解明することは必要不可欠なことでもあります。

 そのために以下、記して行きます。

 まず現在は「猫足立ち」で演じられる初動の運足は、本来はいわゆる「サンチン(三戦)」立ち」の運足であり、立ち方であったはずです。

 これは、15の形のすべてが同じ初動だったはずです。

 ただその「サンチン(三戦)立ち」、「サンチン(三戦)歩行」なるものが、現在の新興・那覇手で行われているものと、同様もものであったのか? っという非常に重要な問題が、横たわりますが・・・。

 このブログでは、そこまでは触れません。

 さて、次なることは現在では「猫足立ち」の移動の最中に親指を立てて、人差し指を突き出します。どこか、子供が遊ぶ時に「パンッ!・パンッ!」と、指でピストルを作る動作を思い起こさせるものです。

 これは「人差し指一本貫手」と言われていますが・・・、「武術として伝承された沖縄空手」の時代においては、これは正しく相手が両腕で襟首を掴んで来た時に、サンチン(三戦)立ちになって、その両腕を外して相手の首筋に喉輪を入れる動作である!

 っと、機能的に正確に動作を行っていたはずです。

 じつは、15の形の最初に登場する「サンチン(三戦)の形」の機能・構造自体が、上記の喉輪なのです。そして、他の14の形の初動もすべてそうです。

 その際の「喉輪」は、ある形においては親指を立てて、人差し指を立てる。または他の形においては親指を立てて、人差し指と中指を立てる。そして中には親指を立てて、他の四本の指も立てる形もある・・・。などなど、形によって違ってしまっていますが・・・。

 ホントウは、すべて同じ事です。

 ただ形の意味するところ、すなわちコンテクストが消滅してしまったために、順に「人差し指一本貫手」、「(人差し指と中指の)二本貫手」、あるいは「(通常の)四本貫手」と間違って解釈されただけです。

 驚かれるかもしれませんが・・・。この初動の身体操作は、日本武道(主に剣術)の影響を受けて、完全に首里手化してしまっている、「五十四歩・ウーセイシ」、そして「パッサイ(八十一戦)」などでもすべて同じです!!

国際沖縄空手道 無想会 International Okinawa Karate-do Muso-kai