「ウンス―の形」の初動と、中国拳法の套路
前のブログで「唐手・佐久川」が移入したであろう、清朝漢人部隊・「緑営」の15の軍事教練の形の6番目の形である「ウンス―」、「雲手」こと、「二十七戦」、「にせいちちん」の形の初動について記しました。
子供が「パンッ!・パンッ!」と、親指を挙げて人差し指で指鉄砲を撃つような最初の動作とは、多くの流会派で言われているような、「人差し指一本貫手」などでは無く、
親指と他の指(人差し指、中指、薬指、小指)が作り出す「喉輪」の動作が・・、
形にコンテクスト(動作の筋書き・文脈)が存在するのを、理解出来なかったために生じた、誤解・曲解であると記しました(文責・新垣)。
しかし前のブログでは、この「喉輪」の前の動作を記することを忘れてしまっていましたので、本ブログで記します。
じつはこの「ウンス―」、「雲手」の形には、形の最初に掌を上に向けて捧げものするような、両腕の動作がありますね!? そして、その後に左右の腕を横に広げます。
あの動作が、「相手が自分の襟首を両腕で掴んで来た時に、外す動作」が、ディフォルメ化したものです。
驚かれるかもしれませんが・・・、あの動作がもっとディフォルメ化したものが、現在は「空を観る動作」などと解釈されている「観空」、「クーサンク―」、「クーシャンクー」、あるいは「公相君」などと呼ばれる形の初動でもあります。
もっと、驚かれるでしょうが・・・、
じつは上記の「観空」、「クーサンク―」などと称される形と、佐久川の移入した15の形。
そしてワン(王の漢字か?)という姓を持つ、中国武官が移入した「ワンドー・ワンダウン(王套路)」、「ワンカン(王武官)」、そして「ワンシュー(王師父)」の形も、「相手が、両手で自分の襟首を掴んで来た時に対処する」っという出だしで、始まっているのですよ。
そして、もっと・もっと驚かれるでしょうが・・・。
多くの中国の世俗拳法の套路も、上記と同じシチュエーションから、套路が始まっているのです!
これらの事柄は、特定の動作の前とその後に続く動作の連結、すなわち形に存在するコンテクストさえ理解なされば、簡単に理解出来ます。
しかし、明治以後の沖縄には、それを理解した人間は存在しません。
さらにわたくしは、中国武術に関して門外漢と明記して記しますが・・・、ある時期以後の中国の武術家にも存在しません。
しかし、この空手の形に存在するコンテクストは、現代の体育・体操化した空手の形にも、明確に残っています。ただ、空手家が気付かないだけです(文責・新垣)。
そして、大言壮語と言われるかもしませんが・・・。
この形・套路のコンテクストの存在認知を、中国拳法の修行者と分かち合うことで、中国武術の歴史、技術の解明を果たすことが出来ると信じています。
さらにそれが、中国からの套路を学んで自らの空手を創出した、沖縄・日本の空手家の、中国への恩返しにもなると信じて疑いません。
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