「雲手」、「ウンス―」、「クーシャンクー」、「観空」っと「五十四歩」の形
1804年前後に「唐手・佐久川」が移入したであろう、「にせーちちん」こと「二十七戦」、その50年後ほどに導入されて「雲手」、「ウンス―」と現在は呼称されている形の事を記していましたが・・・、
現在のわたくしの修行(練習・研究)の成果(?)で、先日「五十四歩(ごじゅうしほ)」の形の完全解明が終わったので、前のブログでは「ソウコン先生・ごめんなさい!」との記事になり、「雲手」、「ウンス―」の形の機能についての説明が中断してしまいました。
本ブログでは「雲手」、「ウンス―」の形の説明に戻ります。
じつはこの「五十四歩(ごじゅうしほ)」の形と、「ウンス―」、「雲手」と呼ばれる形の代表的な動きには、共通点があります。
それは、「ウンス―」「雲手」で突然床に伏して、左右の蹴りを交互に出す動作です。
松濤館系統では身体を横たえて、回し蹴り。糸東流系統では、蹲るような姿勢からの後ろ蹴りなどなどと、各流会派によって違いがあります。
じつはあの動作は、「五十四歩」の形で左右にフラフラ(?)と、横に千鳥足(?)のような恰好で歩く動作と、同じものなのですよ!
さらに、この千鳥足(?)での横歩きのために、「酔拳」の影響がある(ンなことは、無い!)っとさえ言われる身体動作(技)は、「クーシャンクー」、「観空」と呼ばれる形の、代表的な飛び上がって地に伏す動作と同じ業・技なのでよ!
「エッ!」っと驚かれると同時に、「お前如きに、ナゼ、そのような事が解き明かせるのか?」
っとの、疑問が当然のごとく沸いてくるはずです。
答は、簡単です!
形の中に存在するコンテクストを理解すれば、誰でも分かることだからです。
空手の形(これは中国拳法の套路も)は、単体の業・技が前後のそれとは無関係に存在しているのではありません。
それは、脳の機能というものを考えた場合に、当然のことです。
形のすべての動きは、対峙する相手と自分の相対関係から生まれてくる、業・技なのです。
その相対関係は、現在の自分と相手の関係でもありますが、その特定の関係が生まれる前後にも、彼我の相対関係が必ずあります。
それが、空手の形における業・技の必然性というもに、関連してくるものです。
そして、誠に残念なことに、明治以後の空手が完全に失伝させたものであり、現在の中国拳法の套路の伝承においても、失伝してしまったのが、この形・套路に存在するコンテクストの概念なのです。
少し宣伝になりますが、これらの事柄はすでに拙著「沖縄空手道の真髄: 秘伝の奥義「平安の形」の検証」に記してありますので、空手の形とは、どのような意味があるのか? っということに興味がある方はご覧になってください。
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