納得して終えることの出来る空手

 一応、「唐手・佐久川」の移入したであろう、15の形の6番目の形である「にせいちちん」、「ニセーチチン」、「二十七戦」、「にじゅうしちせん」のこと・・・。

 すなわち現代の空手において「雲手」、「ウンス―」の形の事柄に関して、

 その歴史的変移、形の構成・機能などを、ダイジェスト的にはありますが、本ブログで記しています。

 そして「五十四歩(ごじゅうしほ)」の事柄と関連して、この「二十七戦(二セ―チチン)」の業・技も記しています。

 このブログでは15の形の概要を、時間をかけて説明していく心算ですが・・・、

 根源になる、「ナゼ?」っということを、今回は記します。

 すなわち「ナゼ? お前(すなわち新垣清)は、ここまで武術として伝承された沖縄空手、そして沖縄空手の形を解明しようとするのか?」 っということです。

 簡単に言えば・・・、還暦を過ぎたわたくし個人にとって「納得して、空手を終えたい!」からです。

 これが若い修行者ならば、無想会空手とは、「納得して、空手を修行したい」っとなるはずです。

 しかし、わたくしの年齢にもなると「終える!」ということになりますが・・・、これは、わたくしの命が終える。または、空手の修行が終わる。どなどと、いろいろな解釈があると思いますが・・・。

 如何なるカタチを取ろうが、武術として伝承された沖縄空手の形の構造・機能・様式・応用、そして空手の歴史、さらにその心身思想の理解などなど、全て納得が行った上で、自分の空手人生を全うしたい。そして、終えたいということです。

 じつは、このブログの読者層を観た場合に、六十代の方々が非常に多いのです。

 すわなち、昭和二十年、三十年代生まれの、筆者・新垣清と同世代の方々です。

 それは、松濤館系統の日本空手協会の全盛期、フルコンタクト空手の極真空手の勃興、それに誘発されるカタチで興ってきた沖縄空手諸流会派の奮闘を、リアルタイムで感じ、かつ懸命に各々が所属した空手流会派で稽古なさった年代です。

 しかし、正直に記しますが・・・。空手の形に関して、非常にアンビバレントな感情を持っている、世代でもあるのです。

 「空手の形は、使えのか?」 っと言う問いに関して、ジレンマを常に感じている世代だとしても良いでしょう。 

 「使えない!」 っと答えてしまえば、自らが修行してきた空手と、その形を全否定することになります。

 それは自らのアイデンティティを、全否定すということと、同義語です。

 でも「使える!」っと答えたところで・・・。

 それは自分の思いを、否定して答えている。っということになる! っということも、否定できないのです。

 上記の「形は使える!」っと言うことは・・・。

 この世代の空手家として、組織の長、団体の指導者という現在の立場において、自らの個人的懐疑とは別に、ポリティカル・コレクトネス、すなわち公式発言として、言わなければならない答なのでしょう!?

 しかし・・・、しかし、です。

 人は、何時か死にます。その何時かは、還暦の前後の年齢を迎えることで、ヒシヒシと感じる何時かなのです。

 その「何時か」を肌身に感じる世代において、自分が人生の大部分、あるいは一時期を過ごした空手という、武道・武術の本質・本体は一体どのようなものであったのか?

  

 を、知るということは切実な問題である、願望であるはずです。

 以下の文章は、非常に、上から目線のようで失礼ですが・・・、

 その「武術として伝承された空手」の心身思想・操作、空手の形の本質をわたくしは、その大部分を解明した心算です。 

 さらに大言壮語しますが・・・、その大部分は90パーセント近くの確立で、本質をついているはずです。そして、

 「空手の形は、使えるのです!」

 では、それに関して、ナニをわたくし・新垣清は得たのか?

 それは上記の、「納得して、自分の空手を終えることが出来る!」っという想いです。

 そして脳が納得するからこそ、身体が付いて行って、武術としての空手の業・技が出来るようになるのです。

 それは一種、空手の修行に関して「安心立命を得た!」っということです。

 わたくし個人としては、この時点で空手の修行は、まとめの時期を迎えていると思っています。

 そして大言壮語するようですが、そのまとめた事柄を、皆様と共有していきたいと思っています。

 みなさまは、空手に関して、寄って立つ立場というものが、御有りだと思います。

 ただ空手家個人として・・・、一人の男として、そして一人の人間として・・・。

 自らが、人生の大切な一時期において全身全霊を傾けた空手人生において、それが一体どのような本質を持っていたのか? を共有したいと願っています。

 弊会は年に二回、日本国内において、日本縦断の集中セミナーを行っています。しかし、このセミナーは非常に心身共に負担の多いものです(時間も、下手すると一日7、8時間ほどになります)。

 そして端的に記せば、この日本縦断セミナーは「納得して修行できる、空手!」を志向している方々向きのものです。

 わたくしには、主に本ブログの題で示される方々のために、5、6時間ほどのセミナーを行い、半分は、空手の歴史・技術に関しての座学。後の半分は、ご一緒に業・技の解説をしてみたいという願望があります。

 まだ手探りの状態ですが・・・、前記の日本縦断セミナーとは別に、一度は日本国内において開催したいと思っています。ご興味のある方、あるいは、ご協力いただける方は、弊会までご連絡頂けたら幸いに存じます。musokai.karate@gmail.com

 「納得して修行できる、空手!」っと同時に、

 「納得して終えることの出来る、空手!」それが、弊会の空手の一つの特徴でもあるのです!