16では無く、合計15の形

 唐手・佐久川が1804年前後に移入させたであろう、清朝漢人部隊・緑営の把門(アーナン)、把門官(アーナンコー)たち、すなわち琉球館の護衛兵、護衛官の軍事教練の15の形のことを記しています。

 本ブログでは、その15の形の7番目の形である、三十六(サンセールー、サンダーリュ―)の形のことを記しています。

 この三十六は、現在の空手界でも修行・伝承されています。新興・那覇手の剛柔流、そして上地流の三十六です・・・が、

 これは軍事教練の形が民間に流れて、世俗拳法の鶴拳の形となったものを東恩納寛量師と、上地完文師の両者が時代を隔て持ち帰ったものです。

 琉球王国時代に修行された、空手の形ではありません!

 琉球王国が崩壊して福建省の琉球館が廃されて、それと同時に護衛兵であった緑営の把門たちも去っていきます、

 その琉球館の傍に、世替わりして琉球王国が崩壊した後の沖縄へ帰国することを拒絶したいた、湖城家の蔡道場がありました。

 上記の両者は、この蔡道場で伝承されていたサンチン、十三歩(セイサン)、三十六(サンセール―、サンダーリュ―)、そして壱百零八歩(スーパーリンペー)を沖縄に持ち帰ってきました。

 しかし、これは厳密には、

唐手・佐久川の、持ち帰ってきた形ではありません!

 では・・・、佐久川の三十六は、上記の両者の持ち帰ってきた三十六戦に上書きされて、消滅してしまったのでしょうか?

 そうでは、無い! 

 っとわたくし・新垣清は愚考します。

 じつは沖縄に、渡山流という空手の流会派が存在します。私事になりますが・・、わたくしにとっても、非常い思い出深い流会派です。

 この渡山流に、「ローチン」っという形が存在します。

 わたくしは、この形は最初は「六戦」が、「ローチン」っと発音されたと、思っていいました。

 すなわち唐手・佐久川の形には、9の倍数で9X12までの12の形。

 それにサンチン、十三歩(セイサン)、そして二十四歩の3つの例外・・・。っと合計15の形。

 さらに、このもう一つの例外である、この「六戦(ローチン)」の形が存在して合計16の形だと推察していました。

 しかし、この「六」の数が存在する根拠がありません。

 6の数は、9の倍数でも無く、かつ中華文明において明確な「六」という数字が、武道・武術の伝承体系に存在する根拠が無いのです。

 この「ローチン」の形を詳細を研究してみると、最初の出だしの三歩から、唐手・佐久川の移入した軍事教練のすべての形と、同様な形態を示しています。

 しかし、さらにロー「チン」ということで、呼称の最後はチン(戦)で終わっているのはほぼ確実です。

 サンセール―やサンダーリュは三十六ということで、戦(チン)の字はありません・・・が、これは沖縄での伝承で、最後の「戦」、「歩」、などが発音されない形が多々あります。

 なお・・・案外、中国での軍事教練の際にも煩雑なので、「戦」や「歩」などが発音されなかった形もあるかも知れない? っと、わたくしは愚考しています。

 ここで15の形の「対」とは何か? っの理論が重大になります。

 三十六の相対となる、すなわち36の数に足して、108となる数は、36+72=108です。これは、9X8の数である72です。数の体系に一致します。

 そして、これが漢字表記で記される「七十二」の形です。

 すなわち沖縄空手における、「シソーチン」、「しそうちん」の形です。

 

15の形一覧表

 そしてこの形には「七十二戦」っと、明確に「戦(チン)」の言葉が存在します。

 ならば・・・この「七十二戦」の相対となる、三十六の「サンセールー」、「サンダーリュ」の形にも、「セン(戦)」の字が付く可能性が非常に高いのです(わたくしは、確実だと思っています)。

 するとこの「六戦(ローチン)」なる形は、9の倍数の例外では無く、「サンセーローチン」が伝承の過程で、「サンセー」の言葉が消滅してしまって伝わった可能性が、大きのです。

 上記した、漢字表記の最後の「戦」、「歩」が消滅すると同じようにです。これらの呼称の省略は、他の形にも存在ありますが・・・、本ブログでは割愛します(本にする時に、チャンと記します)。

 すなわち、この渡山流に伝わる「ローチン」の形こそが、1804年前後に唐手・佐久川が移入した15の形の7番目の「三十六戦」、「サンセーローチン」、「さんせろうちん」の形の可能性が大なのです。

 そのために唐手・佐久川の移入した形の合計は、16では無く、15であるとわたくしは愚考しています。