鳳啄(キツツキ)の形と、ロコモーション
唐手・佐久川が移入したであろう、清朝漢人部隊・緑営の軍人、すなわち福建省の琉球館を守っていた護衛兵こと把門(アーナン)、把門官(アーナンクー)たちの軍事教練の15の形のうちの7番目であった、「サンセールー」、「サンダーリュ―」、「三十六戦」の形のことを記してきました。
まあ、上記の内の二つの形は、唐手・佐久川が移入したものでは無く・・・。
後に琉球王国が崩壊して、清国との国交が無くなり、琉球館が廃止された後で・・・、
その近くにあったとされる湖城家の道場、すなわち蔡道場で修行した東恩納寛量師と、その後に上地完文師が移入させたものです。
すなわち、中国世俗拳法の形・套路です。
肝心な唐手・佐久川の移入した「さんせいろうちん」は、渡山流において「ローチン」と、呼称されて伝承されることになりました。
っというのが、この15の形の7番目に位置する形の事柄です。
さて、次が8番目の形であるもの・・・、すなわち9X5=45で「四十五」の形です。
「セイウンチン」、「シーウンチン」などと呼ばれる形で、「四十五戦」と漢字表記される形です。 15の形一覧表
でも・・・、この「四十五戦」の事柄を記す前に、少し「五十四歩」のことで、解明中に気づいたことを記します。
この形は日本本土へ移入された後に、船越義珍師によって「鳳啄」っという名称を与えられました。「鳳」とは、大鳥のことで、「啄」とは、つつくという意味です。木をつつくのがキツツキですが、これは啄木鳥と記します。
この啄木とは、詩人の石川啄木の啄木でもありますが、この鳳啄も「きつつき」のことを言っているのだと思います。
なぜ、このような名称を船越義珍師は、「五十四歩(ごじゅうしほ)」の形につけたのか?
それは、この形に頻繁に相手をつつく動作、すなわち貫手の業・技が出てくるからなのでしょう。頻繁と記しましたが・・・、「煩雑!」っと記しても良いほどに、登場します。
それも両腕を、機関車のロコモーションっと言うか、車輪の主連棒のように、忙しなく業・技を繰り出すのです。それに足も付いて行きますが、これも忙しないです。
わたくしが沖縄での修行中に、この「五十四歩」の形が「好きでは無い!」っと思っていたのは・・・。ウーセイシ(五十四)の形は、「滅茶苦茶でごじゃりまするがな!」
ウーセイシ(五十四)の形と、世界総本部道場の弟子たちのこと
流会派によっては、この煩雑な、同じような貫手の業・技が、四歩も連続して出る。それも、「これでもか!? これでもか!?」っという塩梅に、四セットほども出てくる流会派の形もある。ということだったのです。
「一体これは、ナンじゃらほい!」っと、誰でも思うでしょう。
沖縄空手においては「一歩は三歩、三歩は∞」なので、本来は一歩(あるいは、一動作)
だったのが、形の構造上が故に数を増やしたのか?
でもなぜ三歩では無く、四歩なの?! 「四歩の偶数ならば、自分は動いていないということに、なってしまうでしょうが?!」っとの疑問が・・・。 この辺りは拙著「沖縄空手道の真髄: 秘伝の奥義「平安の形」の検証」を参照にしてください。
さらには四本貫手だけでは無くて、親指も入れての五本貫手(?)まで遣るのですよ。それも、上に向けても・・・。
「キツツキ」っと言う名称は良いけど・・・、「ここまで、つつくことは無いんじゃないの!?」 っと思ってしまうのが人情でしょう!
しかし、今回完全解明を果たして分かったことは、この貫手の連続は、一歩を四歩に水増ししたものなどでは、ゼンゼン無いのです。
形の構造、機能として必然なのです。なぜ? そして、どのようにして? などは、何時かセミナーで解説します。
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